~55歳から、-20歳でいきいき着物ライフ~          日本所作協会 インストラクター しぐさ美人 大阪紬       【大阪/京都/奈良/オンライン】  大阪紬 稲田康子

私のことはこちらをご覧下さい『私の世界観まとめ』マイストーリー 1~50 まとめました。 「しぐさ美人メソッド」を学んで変わったこと ①~③ まとめ 「しぐさ美人メソッド」を学ぶ時に勘違いしていたこと…リンクameblo.jp

 

 





 私がなぜ日本所作協会に入ったか  ⑦


自分を否定する人間

 


3人の子供を私学にやることになった

きっかけは長女の小学3年生の時の

学級が荒れて崩壊したこと。



教室の机の間を

男子生徒がうろつき回る。

ハサミが飛び交うことに怯えた

長女は、みんなと同じ中学に

行きたくないと言い出したことで



初めて中学受験を考え始め、

長女一人を私学にやると

後の二人も必然的に私学へと

進ませることになりました。



それぞれの子供に合わせて

進路を考えてやればよかったのに

子供教育は皆平等になんて




中高一貫の私学に行くことで

バラ色の人生が

子供達を待っている。



そんな誤った考えを持ち、

子供達の塾通いに

熱が入りました。



長女は自分から私学へ行きたいと

言い出したからいいのですが、

長男はサッカーに明け暮れる

毎日だったのに、それを

辞めさせてまでの塾通い。





なぜ勉強しない?

なぜやらない?

なぜ頑張らない?



小学6年生には、

毎夜12時近くまで塾で勉強。

日曜日には

お昼のお弁当を持たせ、

夜には塾までお弁当を届ける。



そんな生活が8年続き、

子供達を私学にやったあと

待っていたのは



挫折感



自分で選んで

私学に通うことを

自分で選んだ訳ではない子供達は

入学したら

楽しい生活が待っていると

思って頑張ってきたのに

入学してもまださらに

大学受験を目指して

頑張らないといけなかったんです。



子供達に私が教えないと

いけなかったことは、

勉強にすることではなく、

何のために勉強するのかと

言うことでした。



結局、中高私学に行って

私が思っていた様な学生生活を

子供達が迎える事は

ありませんでした。



自分の仕事をやめて出産し、

全身全霊をかけて

子供達のために尽くしてきた

年月は何の意味もなく、

子供達のためになっていなかった。



子育てをしながら

自分が社会とつながる喜びを

感じられる場所であった

着付けの講師も辞め、



自分の母親としての

18年と言う期間が

全くの無駄であったと言う挫折。



お前のせいで

楽しいことが何もなかったと

子供に言われた時から、

私は全てに自信を無くしました。



自分が良かれと思い込んで

いたことが、全て悪。



シクシクお風呂で泣く生活が

復活しました。






幸い、スーパーでの同僚は

明るく楽しいメンバーが多く、

また子供のような年代でしたので、

その中で癒されながら

日本所作協会の前身

しぐさ美人と出会うまで、

着物のことは全く忘れ、



変な劣等感に苛まれる事もなく、

過ごすことができました。






ただ根底に自分のやることに

全く自信がない自分がいて、

これで大丈夫なのかな

本当にいいのかなって、

常に迷うようになり、約15年。



スーパーの事務員として

超平凡に働き続けます。






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