~55歳から、-20歳でいきいき着物ライフ~          日本所作協会 インストラクター しぐさ美人 大阪紬       【大阪/京都/奈良/オンライン】  大阪紬 稲田康子

私のことはこちらをご覧下さい『私の世界観まとめ』マイストーリー 1~50 まとめました。 「しぐさ美人メソッド」を学んで変わったこと ①~③ まとめ 「しぐさ美人メソッド」を学ぶ時に勘違いしていたこと…リンクameblo.jp

 

 


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 私がなぜ日本所作協会に入ったか  ⑥


自分を否定する自分に

 

着物学院では

着付けを教える仕事に加えて

呉服を販売する事も

仕事の内にありました。



3.4ヶ月に一度ある

展示会に生徒さんを呼んで

綺麗なお着物を販売するんです。



自分が生徒の頃も

もちろん展示会に行き

呉服を販売されました。








両親が揃えてくれた

着物はピンクや赤などの

なんとも可愛らしいお着物ばかりで、

とてもいいものですが、

初めて見るお着物は

シックでお洒落で

心を惹かれました。



で、お着物を自分で

買うことに目覚めてしまったんです。



斉藤三才先生と



最初は貯金を取り崩し。



次第にそれも底を尽き

ローンを組みながら。



そして生徒さんも同じように

ローン地獄に陥らせることに

苦しみ始めます。



華やかな着物を着る一方で、

この仕事をしていていいのか。



着物を着る楽しさを伝えたくて

着付けの講師となったのに、

反対に生徒さんを苦しめることに

なっているじゃない。



本当に必要なお着物を

一枚大切に着て頂けたらいいのに

次々と新しいものを

提案していかないといけないことが、

だんだん苦しくなってきて。



また、自分のローン生活も

限界がきて、

その着物学院が

本校に合併することになった時を

いいタイミングにして

着付けを辞めちゃいました。



ローンの返済と

子供達を3人私学の中高に

通わせるために

家から5分の所に新しくできた

スーパーに勤め始めました。



やりたくてやり始めたことが、

人を苦しめることにつながって

それをあたかもいいことで

あるかのように伝えて、

自分と同じ人を作り出していた.


その罪悪感は半端なく。



自分がローンで苦しむ間、

生徒さんも苦しめているということにも

苦しんでおりました。



そして同時期に

子供のことでも自信を無くし、

笑えない日々が(笑ってはいたけれど)

続きました。





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