校庭でパンを食べたら

あかんかったの?

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《マイストーリー》 49

母校での教育実習で恩師に叱られる はこちら


 
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《マイストーリー》 50 

夢やぶれ銀行員の道



幼稚園時代の、先生になりたい夢

小学校時代にも、先生になりたい夢

中学校時代には、英語の先生になりたい夢

高校時代の、夢を横に置いていた時を経て

大学時代、夢を実現しようとしたけれど…




高校時代勉強をサボったので、ドイツ語学科に何気に入学して、ドイツ語を勉強した4年間。



教育課程を履修して、教育実習を経験。

ドイツ語の中学1級高校2級の教員免許を取得はできたけれど、


さて、これから仕事はどうするよ??


中学のドイツ語の先生なんて、ないよなと思って調べたら、これがあったんですよ。


私学の男子校。


なんでやろ?と勝手な推測は、お医者さんになる人が多いから?


でもね、そんなところは、おじいさんのドイツ語教師がいてはって、空きなんてない。




そこで、英語の教員になる方法を探したら、同じ大学に英米語専攻科なるものがあって、そこで1年学ぶと、英語の高校1級の資格まで取れると知りました。


 

 そこで、父に頼み込み、英語の教師の資格を取るために一年大学に行かせてもらうことになりました。




 

 
 
4年間楽しく過ごしたドイツ語学科の仲良しの友達も、みんな卒業して就職して、教室には一人。

今までのように、喋ったりする友達もいず、授業は一学年下の学生の授業の聴講と、専攻科としての授業も受講。

二倍量。


中学を卒業してから、これだけ真面目に勉強をしたのは久しぶりでした。


聴講では、誰も顔を知らないので、授業は一番前を陣取って、ノートは真剣に取る。


学生としてごく普通のことをやりました。



専攻科の英語の授業は、ネイティブの先生の英語オンリーの授業。


専攻科のメンバーは、英語を4年間学んできた学生ばかり。

他大学からも転入して来た学生もおり、これから英語を研究していく学者になりたいというメンバーばかりで、私とは英語にかける意気込みが違う。

おちゃらけた10代後半を過ごして来た私は、焦りの日々。

何しろ、授業が聞き取れないんです。
少しでも気を抜くと聞き取れない。

専攻科のメンバーに教えてもらいながら、必死で学びました。



前期テストが近づいてきた頃、一学年下の授業で座っていると、肩を叩かれました。


「すみません。お願いがあるんですけど。

授業のノートコピーさせてもらえませんか?

そして、南回していいですか?」


なんと、高校時代から、他人のノートのコピーを当てにしまくっていた私のノートがついに人のお役に立てるとな?


こんなところで、できる恩返し。
人のお役に立てるなら、どーぞどーぞ💕


喜んでもらえて、また嬉しくて。


自分のために頑張っていると、人が認めてくれるんですね。


さて、授業は真面目に合格したものの、勉強をほとんどしなかった教員採用試験。

そこが私の詰めが甘いところ。

記述の勉強をほとんどしなかったためか、不合格。


採用試験に合格するまで留年することも考えましたが、あっさり諦め、同時進行していた就職活動で、内定をもらっていた銀行に就職することを決めました。

こんなに勉強した一年はなかったんです。

大学4年間の英語の授業の足りない分を補い、第3外国語として中国語も学び、専攻科生として受講しながら、論文も書いたし、やるべきことをやり通した満足感が、違う道へ歩むことをきっぱり決められました。


長年持ち続けた教師という仕事に就くことは叶いませんでしたが、身に付けた英語を活かして、貿易関連の仕事ができればと面接で訴え、銀行でその職務を与えていただけたのは、私がとてもラッキーだったと思います。


そして、子育てが終わった今、英語の教師ではありませんが、着付けの講師を経て、「しぐさ美人メソッド」の講師として、歩めているのは、やはり、

人に教えることが好き。
人の役に立つのが好き。
人が喜んでくれることが好き。
人と一緒に歩んでいくのが好き。
人にどのように伝えるか、考えるのが好き。
そのために努力するのが好き。

その気持ちは変わっていなかったからです。



 
しぐさの講師として、歩めることの幸せを今実感しています。
 
 私の世界観ブログ、いったんこれで終わりますが、また落ち着いたら続きを書きますね。

目に留めていただいた皆様、ありがとうございました。


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        しぐさ美人メソッド 公認講師

            大阪紬  稲田 康子