マイストーリー始めようかなと思った時の
気持ちを書いています💕
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《マイストーリー》前説はこちらから
 
 

 

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《マイストーリー》 1
プロローグ 父編
 
 
実は私、小さかった子供の頃の記憶。ほとんどないんですよ。
 
 
母がこまめに作っていてくれたアルバムの写真を見て、そうだったのかーって感じなんです。
 
 

 
ほーら!こんなに可愛い写真なのに自分は記憶が無い🤣
 
 
 
私だけかな?
 
多分みんなそうですよねウインク
 
 
私が産まれたのは、1961年の11月。
 
1945年が終戦だから、戦後16年、日本が急成長していく頃です。
 
 
子供ですから、今は戦後だとか、高度成長期だとか考えて育ったけではありません。
 
 
 
でも令和の時代になった今考えると、ごくごく戦後に近い頃だったのだなと思んです。
 
 
 
いや〜💦  私の歳がバレますね🤣
 
隠してはいませんが😅
 
 
ギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザ
 
 
 
さて、父の話。
 
父は4年前のGWに無くなりました。
 
一人でひっそり、入院していた病院で。
 
 
 
急変を聞き駆けつけたのですが、GWの渋滞に巻き込まれて間に合いませんでした。
 
 
最後まで寂しい人生だったなぁと、父のことを考える度にそう思い、苦い後悔が心に浮かびます。
 
 
 
ギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザ
 
 
 
父が小学生の頃、父親が戦死し、病弱の母親と弟を、近所の漁師さんのお手伝いをして働き、家計を支えていたと聞いています。
 
 
幸い土地を所有していたので、畑仕事もし、なんとか食べることはできていたようです。
 
父の母は、結局父が中学生の頃亡くなったそうで、私は父方の祖父母は仏壇の上に飾られた写真でしか知りません
 
確か祖父は軍服を着ていた写真だったと思います。
 
 
中学生にして弟と二人での生活になった父は、大変な苦労しました。
 
今だと施設に入ったりするのでしょうが、そんな話は聞いていないので、自力で生活したのだと思います。
 
 
夏に西瓜を食べる時、父がよく煮て作ってくれた西瓜の煮物を思い出します。
 
スイカは瓜系なので、味の想像はつくかと思いますが、子供にはとても頼りのないボヤッとした味で、超苦手でした。
 
父はそんなものも煮て食べないといけない環境で生きてきたのだなと、いつも思っていました。
 
 
苦労して苦労して生き抜き、働きながら夜間高校を出た父は、伝手もあり、地元の銀行員となりました。
 
そして、波乱万丈の人生を歩み、私たち家族を巻き込んでいきます。
 
 
 

 
 
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まだ存命の母の許可を得ていないので、
こっそり投稿
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《マイストーリー》 2
 
 
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    「SBMしぐさ美人メソッド」公認講師 
              大阪紬  稲田康子