○ 真・善・美を実現するには
さて然らば、吾々はいかに生くべきか。人生の目的が「真・善・美」を実現することであるという事は正しいのでありますがどこに実現するかという事であります。
吾々は今まで芸術家は立派な作品を残し、科学者は立派な真理を発見してそれを法則化し、技術家はそれを人生に役立つ風に工夫し、宗教家や道徳家は善き心の人々を一人でも多くつくって社会を幸福にすることがその目的であり使命であると考えていたのであります。しかし果たしてそれで正しいであろうか。
立派な絵や建築が残され、歴史にその名が記録されよき社会が建設され、立派な政治が行われるそれが真・善・美の実現であり、それが人生の目的であり、それが、つまりこれらの人間の「作品」が価値あるものであるとされてそれで充分であろうか。そのような「美しき作品」を創造ることが人生の目的であるか。
例えば一見して心があたたまるような絵それはたしかに立派な文化財であるが、そのようなものを沢山作ることが人生の目的であるかそういう事になるとただそれだけであれば、何か物足らぬものが感ぜられるのであります。
何か不安であって堪え切れない淋しさがあるのである何故ならば、そのような「作品」や「法則」は、いかに立派なものであっても、「生命」ではなく、それは「私自身」ではないからであります。
そこには「心」がない。「心」があらわれていても「心そのもの」ではないからであります。「生命」が「死物」を生んでそれでそれで終わってしまっている。吾々人間の目的がこのようなものを残すことであったり公式を残すことであって、生命がそれで消滅してしまうのであれば、それは生命の退化であると言っても過言ではない。
たとい、いくら沢山の芸術品がつくられ、機械文明が発達し、立派な人間が、立派な社会をつくったとしてももし地球が他の天体と衝突してしまったら、それらのものはあとかたもなく消えてなくなるのであります。しかも地球が他の天体と衝突しないということは断言出来ないし、肉体人間の生存に不適当な気候に変化しないとも断言することは出来ないのであります。
つづく