大阪天王寺区にあるどんどろ大師と呼ばれる
この寺院は歌舞伎で有名な傾城阿波鳴門
(けいせいあわのなると)の舞台です
どんどろ大師山門
歌舞伎の傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)は
巡礼歌の段で我が子お鶴がお弓とどんどろ
巡礼歌の段で我が子お鶴がお弓とどんどろ
大師堂門前で逢うのです
阿波十郎兵衛とお弓は阿波のお家騒動で紛失
した阿波の重宝国次の刀を探索するため盗賊
となったお尋ね者になっています
お鶴お弓の銅像と解説板
チョー有名な親子が出合う場面
お鶴 とと様の名前は阿波十郎兵衛
お弓 エヽ、してかか様の名前は
お鶴 お弓とと申します
と言ってお弓が生き別れの娘お鶴だと
わかりますが旦那の十郎兵衛もお弓も
お尋ね者で奉行所に追われる身分
母だと言って騒動に巻き込んでも子供に
迷惑がかかる
お鶴お弓の銅像と解説板
とうとう自分の子供を追い返す![]()
しかし・・・
ここで別れては一生の別れになるかも
知れない板挟み![]()
結局お弓は娘のお鶴を探しに行くのだが…
本堂の建物
境内は小さいので本堂は2階建になっています
ここのお寺は元は鏡如庵大師堂というお寺が
ありました![]()
江戸時代の宝暦2年(1752年)に高野山の
法資法道が慶長20年(1615年)大阪夏の
陣の戦死者を弔う為に創建されたのが始
まりです
大阪夏の陣から137年も経って創られた
陽です![]()
本堂
御本尊
弘法大師
宗旨
高野山真言宗
どんどろ大師と呼ばれるのは江戸時代の天保
年間に大阪城代になった土井利位(どいとしつら)
の屋敷がこの近くにあって
土井の殿様が弘法大師に深く帰依して参拝し
ていたため
「土井殿の大師(どいどののだいし)」が訛って
どんどろ大師になったそうです
切支丹灯籠
創建当時の御本尊は如意輪観音菩薩ですが
明治6年(1873年)に廃庵になってしまうの
です

廃庵から38年後の明治42年(1909年)豊能町
の古刹善福寺がこの地に移転してきて
どんどろ大師を受け継いで摂津国八十八ケ所
霊場11番札所を続けています
どんどろ大師大師堂

御詠歌
たかの山 みかげ あふぎて 寄る人は
よろづの願ひ 満つとこそ聞け
よろづの願ひ 満つとこそ聞け
何でも願いが叶うという縁起の良い御詠歌
です
土井利位は在任中の大塩平八郎の乱の鎮圧の
功績によって京都所司代、老中、老中首座に
出世しています
誠に縁起の良いお大師様です
勝軍地蔵尊
土井利位は在任中の大塩平八郎の乱の鎮圧の
功績によって京都所司代、老中、老中首座に
出世しています
誠に縁起の良いお大師様です
勝軍地蔵尊
めっちゃでかい!


青銅製の立派な地蔵尊です明治40年(1907年)
に日露戦争の病死者の慰霊のために作られた
のです
第二次世界大戦中、金属類回収令によって
供出されそうになりましたが、どんどろ大師
像の編笠は供出されましたが勝軍地蔵尊
はギリギリ供出を免れたそうです
さて文楽の傾城阿波鳴門は歌舞伎と少し
違います
阿波鳴門床本
国立文楽劇場の2021年4月文楽公演が
傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)です
おつるは巡礼に御報謝を〜と阿波十郎
兵衛とお弓の家にやって来るのです
ちょうどお弓が居てて事情を聞きます
お弓 ムム、シテその親達の名は何と言う
ぞいなう
おつる アイ、父様の名は十郎兵衛、母様は
お弓と申します
*文楽公演の記念判子より
お弓はお前は私の娘と言いたいところですが
お尋ね者で50両の借金で借金取から
からも催促される身の上
どうしても言えません!身の上話を親身に
聞いておつるもお弓も泣いて抱き合うが
それでも、自分の娘とは言えません
最後は追い返してしますが・・・
*四月文楽公演ポスターより
ここで別れては一生逢えないかもしれない
辛いので娘を追っかけます
親子の縁とは恐ろしいもの
おつるが乞食に狙われているところを
たまたま十郎兵衛が助けます
しかし
娘おつるは小判を持っているといったので
十郎兵衛は借金を返す為に使おうと小判を
貸してくれというが
*四月文楽公演の文楽絵より
娘おつるは怖がって怯えて大声を出したので
近所に聞かれては困ると思って口を強く塞ぐ
とおつるは死んでしまいます


十郎兵衛は死骸を布団に隠します


母親お弓が帰って来ると娘おつるが来たこと
を十郎兵衛に伝え一緒に探しに行こうとし
ます
娘の姿形を聞いて十郎兵衛は愕然として自分
が実の娘を殺してしまった事を知りお弓に
伝えます
*四月文楽公演パンフレットより
殺されてしまったことを娘に詫びごとを繰り
返し涙にくれるのでした


娘の財布から3両の小判が出てきて
なんでたった3両のために娘を殺して
しまったのかと悔やむ十郎兵衛
財布の中には十郎兵衛の母親の手紙
が出てきて国次の刀を国元の悪臣
小野田郡兵衛が隠していると伝えて
きました
*四月文楽公演の文楽絵より
しかも、その時捕手が家を囲んだので
十郎兵衛はその捕手を追い散らし
お弓は家に火をかけ娘の遺体を荼毘にふし
夫婦は散り散りに逃げます


娘おつるは本当に両親の役に立ち健気な
娘なのになんでこんな因果で亡くなってし
まったのか!
おつるが気の毒でたまりません!


江戸時代は疫病や怪我で子供たちがころころ
よく死ぬ時代だったのでしょうね
歯がころころと抜けるようになったらこちら
たかぼん
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