


この須玖岡本遺跡の凄いところは弥生中期
日本最大の武器工場、ガラス工場膨大な甕棺
が出土することです
中に入ると資料館のボランティアのおじさん
に声をかけられました
歴史解説のボランティアのおじさん
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手作りの資料で解説してくれます
それで
このおじさんによると!
古代の福岡は博多駅辺りが海岸線で
下の図のように那珂川と御笠川に沿って
多くの弥生集落の遺跡が数珠つなぎ!
↓
↑
丸で囲んだ所が集落の遺跡
弥生時代の先進地帯だったのです!
須玖岡本遺跡が発見されたのはこの
王墓の上石がきっかけなのです
王墓の上石
明治32年(1899年)ここから300mの所で
家を建てようと思ったがこの岩が邪魔なの
でずらしていくと斜めに埋まった甕棺が
現れた!
甕棺復元模型
*春日市文化財ガイドマップより
中を見てみると前漢鏡32面やガラス壁(宝器)
銅剣、銅矛、銅戈など青銅製の武器、ガラスの
勾玉、管玉がわんさかでてきたのです
帝国大学の偉い先生が調べに来て調べた
そうです
前漢鏡レプリカ
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こんな鏡が32面も出てきたらしい
本物の鏡は偉い先生から今は東京国立博物館に
収蔵されているらしい
銅剣
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こんな銅剣が出たようです!
そして福岡市がドンドン大きくなると
田圃がドンドン宅地になって出るわ出るわ
この辺りに弥生時代の工場が次々と
見つかります
工場分布図byボラティアのおじさん
*鉄工所と書いてある所も古代の鉄工所です
それで見つかったのが弥生時代中期の
日本一の工場地帯です
つまり日本一の権力者がいたわけです
どんな工場だというとこんな感じ
↓
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左のふいごを持っている人が金属を溶かし
坩堝に入れた金属を型に今入れようと
する現場です!
手前のへっぴり腰で棒を持ってるのが
現場監督で金属の流入量を調節しています
出来た製品を運んでいます
出来た時はこんなに金ピカです
銅戈のレプリカ
銅戈の石の型が出てきたのでここらに工場
があった事がよくわかります
銅戈の石の型
ガラス工場もあったのそうです
ガラスの勾玉・小玉
奴国の丘歴史資料館の横は奴国の丘歴史公園
で2つのドームがあります
ドーム
ドームの中に入ると 甕棺がいっぱい!
凄いです!甕棺を使うなんて結構贅沢だと思う
のですが、埋葬品がないので庶民の墓らしい
今の火葬より手厚い埋葬方法ですね
もう一つのドームに行くと
甕棺の横に四角い穴があります
これは甕棺で埋葬から木棺、土葬に変わった
からだそうです
↓
埋葬の仕方が変わるところがわかるなんて
珍しい遺跡です
地中探査するとこのあたりに1000以上の埋葬跡
があるらしい
弥生中期といえば57年漢の光武帝から
漢委奴国王の金印をもらった王朝ですよ!
金印(漢委奴国王)レプリカ
*本物は福岡市博物館に展示してあります
金印も博多湾岸の志賀島から出土して
いますから
ここの王様が貰ったのでしょう
丘の上から見た資料館
福岡県に漢が日本の代表と認めるほどの
権力者がいたとしか思えません
歯周病になるのは歯周病菌がいたとしか
思えません
↓
たかぼん
筑前一之宮住吉神社ブログ
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伊都国歴史博物館のブログ
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