いろいろ、困難なことが起こった昨年でしたが、元旦の午後4時に、とんでもない災害が起こりました。
これまでも群発地震が起こっていた能登半島でしたが、震度7という地震と津波被害が起こり、その後も大きな余震が続いています。被災された地域は、日本海沿岸の県にも広がっているようです。
被災された皆さま、どうか、最善な支援を受けられ、支えられますようお祈りしています。
私は、教会関係の組織を通して、寄付による支援をしていくつもりです。石川県内の教会からも、すでに支援物資を送っていると聞きました。個人による支援は、実際に現地に届くのが難しいと聞いています。自衛隊、消防庁、警察の方々が全国から派遣されているのをニュースで見ましたが、そのご苦労に感謝します。
翌日2日午後6時に、その現地に救援物資を載せて飛び立とうとしていた海上保安庁の航空機が、千歳空港から飛んできて、着陸しようとしていた日本航空機と、C滑走路で衝突、双方炎上してしまいました。海保機は、機長以外の5名の方が亡くなりました。お見舞い申し上げます。地震支援のため、緊急事態で、事故を避けられなかったのでしょうか。
日本航空機には、379人の乗員乗客が乗っていましたが、全員無事に脱出できたと聞き、奇跡的な救出だったと思いました。ニュースでは、無事だったことがしばらく判明せず心配していました。友人の娘さんが職員で、彼女に業務連絡が入り、無事救出されたことを、私にも先に教えて貰えて安心したことでした。
火と煙の中、機内の様子が映されましたが、その中、乗務員の方々の適切な対応と、乗客の皆さんが協力して行動し、
無事にダッシュシュートを降りて救出された様子に感動しました。
機内から脱出できる扉は、前2か所、後ろ1か所しか無く(その他は火にすでに包まれていた)、機長との通信が途絶えた乗務員が自己判断で火の無い扉を開いて、乗客を誘導したそうです。最後に機長が、おびえて残っていた方々を連れて、最後尾から降りたとのことでした。
どうして、これまで守られたかということが、元乗務員だった方が説明していましたが、毎月行われている90秒ルールという訓練が生かされたということでした。それは、パニックコントロールをする、状況判断をする(火の無い非常扉を開く判断)、脱出時は手に荷物を持たないことを乗客に徹底してもらう。大きな声で声かけをするなどの訓練もするようでした。
救出後は、空港に待機していた他の会社の航空機スタッフの協力もあったと知りました。
海外の報道では、日本人の冷静さが、評価されているようでした。
起こってほしくない出来事が起こる時に、冷静に対応していくことができるよう、意識していきたいと思います。
能登半島地震の被災者の皆様、救援の働きに携わっている皆様、これから、雨と雪になるそうです。寒さから守られ耐えて乗り越えていかれますようお祈りしています。