芝居の醍醐味②~なぜ今お芝居なのか(1) | 気づきに満ちて生きるためのライアー《アトリエロータス@富山》

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432Hzのレミラシ4オクターブ48弦からなるタオライアー

その癒しの波動による変容

ご体験ください!

☆タオ以外の様々な音階のライアー制作の傍ら、グループ展、音浴会やヒーリング体験会など行っています。

 そもそもの発端は、ちらしです。

学校からもらってきたのだったか、どこか公共のホールなどで置いてあったチラシだったか、とにかく、西村雅彦さんの大きな写真の掲載されたものを見て、それがとてもいい笑顔だったので、気になっていたのでした。

 

 なにかと悩みの多いというか、思春期の娘、元気が無いことも多く、この年頃はふたこと目には死にたいなんて言ってみたり。もちろんそれを大きく取り上げて気に病むのも違います。実際、違う瞬間にはすぐに、生きてるって素敵、となってる。ほんとに揺れる心ですね。思春期ですから。感性が鋭すぎて、いちいちいろんなことに過剰に反応するんです。でも、そうやって、反感と共感とを育てているんだなあと見守りつつも、なにかしら元気づけることができればなあ、というちょっと浅はかな考えもあって、

「ねえねえ、みーちゃん、これ、どうどう?応募してみない?」と誘ったのはわたしでした。

ほんとうに軽い気持ちでした。「どうせ抽選に外れるよね。だから出すだけ」と。

すると、「うん、いいね、楽しそう。」という返事だったのです。

「あら?」と思ったのを覚えています。

 ネットのHPから申し込みを二人分わたしがしました。なにせ忙しいのです。うちのお嬢さんは。漫画を描いたり、学校の行事の度にそれに関わる絵を描かせてもらっており、全部ぜんぜん手抜きせずに描くので。徹夜とかざらで。ほんとに描き続けていると言っていい感じで。お芝居でも小道具に使う絵を一つ描いていましたね。☆合間に試験勉強(課題のみ)をしている感じでした。

 

そんな感じでしたが、なんと、二人して本当に抽選を通ってしまって、実は焦りました。通知とともに、改めて参加の意思決定書のようなものを送ることになっており、ここで断ることもできるのか~どうしよう、と一瞬迷ったのも確かです。

 

が、娘にヒアリングすると、「うん、まあ、いいんじゃない?」というのです。

「そう、そっか、それなら、じゃあ参加する?しようか」と。わ~まじか~と内心は思ってたんです、わたしは。実はあんまり度胸無かったんだなあ。ですが、そのころ、毎日毎日、超がつく忙しさでしたので、あんまり直面できずに日々が過ぎておりました。(でも、決まる前から11月のその稽古の予定日はちゃんと空けておいたので、実はもう出るってことに決めていたんですね)

 どんな役かはまだ分からないうちにも、ドキドキしていて、とにかくお芝居出るのか、そうか、でもまあどうせほとんど初心者なんだし、くつろいでいればいいさと思いながらも、とにかくそれどころではなく忙しい日々でした。ずっとブログでお知らせしているので、見ていただければすぐわかりますが、怒涛の日々でした。 村上智さんのキンダーライアー制作講座や、穴田眞さんのオイリュトミー講座、そして牛山了子さんのライアーソロコンサートにレッスンなどのとても大切な催しの数々があったのです。思い返すだけでもめくるめく美しい日々でしたね。おかげであまりお芝居のことを考えなくてよかったのかもしれません。

そして、11月1日から6日までは長野の茜宿でのヒーリングライアー制作の合宿でした。

「芝居を創る4」の結団式&稽古初日は11月8日。6日の夜帰ってくれば、一日の猶予があるなあといくことを 決めていました。

 

こんなペースでなにやってるんだろうなあと思ってたのですが、全力でやることの練習を一つ一つしていたみたいです。

 

今年49歳、第5七年期もラストです。ここから先はほんとにあまり考えないで全力でやるだけなんだろうなあという予感があります。こうやって書いているのも、あまり考えていなくて、ただ書いておかないと、という気持ちなんです。

 

と、そんなこんな、子どもたちがなにかときっかけをくれているわたしの人生です。

 

純粋に自分のしたいこととして選んでやっていることはほんとうに突き詰めると無いのかもしれないです。

だから、環境に決定されることって大きいなあと思うんです。なので、できる限り、子どもたちには環境を整えることをしてあげたいと思うのです。できてないけど。それでも、私にできる範囲で。

なので、「いかにして穏やかなおかあさんでいられるか」、と、「どうしたら賢く子育てできるだろうか」、ということを考えて感じて、子どものために、自分自身を心地よく、世界のために、自分自身の世話をする、という方針で来ています。

自分の世話ができずにどうして周囲のお世話ができるでしょう。今この瞬間、自分がここちいい姿勢をとること。贅沢するとかそんなことではなく、ただ自分が今自分にイエスと言えるかどうか、が目安なんです。こんなことを堂々とかけるのも、完璧はないと学んだ故です。瞑想していろんなワークに参加しておかげさまでいまのわたしがあります。それは今回のお芝居にもたくさん役立ってくれました。

 

つづく