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以下の動画の大まかな文字起こしをさせていただきましたので、よろしければご覧ください。


【電話】小学校校長、我々のチラシを受け、全校生徒に手紙を配布




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「知らない人にあいさつをしよう」と題したチラシが、地元住民によって、都内のある小学校にて撒かれた。

後日そのチラシに感動した児童から、「近隣で撒かれていたチラシは、当校の方針は違います。と書かれた手紙が全校生徒に配られた」とのコメントをもらった。それをきっかけに、児童が通う学校の校長先生に電話をして事情をきいてみた。

以下がその大まかなやりとり。



Q、この手紙を配った理由を教えてほしいのですが(さゆ) 


校長

児童が混乱しないようにする為です。子供はダブルスタンダードが理解できない。自己判断ができるようになるまでは、なるべく学校の方針に沿うようお願いをしています。





Q、知らない人に挨拶をする事は子供にとって良い事ではないか?(さゆ)


校長

善良な人達だけではない。

・校長本人も一歩外にでれば不審者扱いされる

・子供の写真を勝手にとられたとの報告有り

・勘違いしてストーカーになる人もいる

上記の事が現実としてある為、知らない人とも顔見知りになっていこうとは言い切れない。


さゆ

不審者やストーカーは意図的に作られているなど、危機を煽る社会設計がされている。

危険があったとしても、子供達には知らない人でも良い人の方が多いと教えるべき。





Q、防犯教育を徹底したら、孤独な心が作られてしまうのではないか?(さゆ)


校長

前の学校で同じ事(知らない人にあいさつ)をしていたので、気持ちはよくわかる。しかし、全く見ず知らずの人に挨拶していこうとは校長として言えない。公園で子供を撮影している誰だかわからない人に、声がけさせる訳にいかない。


さゆ

そのような人にこそ、声がけしていくべき。

例え子供に性的欲求を抱いていたとしても、それが子供に危害を加える事ではない。

その人が犯罪を起こすどうかはわからないとしても、声がけされる事によって、より犯罪を起こさない人間になる。枯渇感や不安定感をなくす事が犯罪を減らす事に繋がる。防犯教育は分断教育にすぎない。





Q、交流を持つという人間の普遍性を変えてはいけない。社会環境がおかしいと言うべき。(学校方針を)変えていきませんか?(さゆ)


校長

いきなり手放しで輪を広げる事は難しい。


さゆ

知らない人を受け入れるには、手放しになる事が必要。恋愛も知らない人同士が出会って始まる。そうしなかったら、今以上に婚姻率は下がる。そういう事にも繋がってくる

昔の人は人と出会う為に旅をした。

それによって豊かな心を育めた。今は何かを見に行く、その場所に行く事が目的になっている。そのように常識が変えられている。子供から泊めてと言われたら警察を呼ぶような社会は地獄そのもの。






Q、防犯教育の代わりに、「知らない人に挨拶していく事」と「地域マップ(通学途中にある家を訪ねて、どういう人か取材する等)」を行なってはどうか?(さゆ)


さゆ

子供に危険な場所を認知させるのではなく、地域にどんな人がいるのか認知させた方が良い。「知り合いになるからこそ、守ってあげたいと思う」それが人間。チャイムを鳴らされて不快に思う人がいるとしたら、それを子供が知る事も又、大切。


校長

私も(出会いの)リスクを良い方向に変えていきたい。しかしその為には地域の人にも協力を仰がなければいけない。地域の人が反対する事は、いくら学校方針だからといって強制する事はできない。そのような人達がいるという事を子供が知る事を価値がある事とは思えない。





Q、どうして地元住民の反対を突っぱねられないか?(さゆ)


校長

避けられるトラブルは避けたい。

地域の人にアポなしで、学校活動はできない。

それは最低限のマナー。


さゆ 

保身などのリスクがないのに、地域の人に迷惑をかけてはいけないと固執している校長先生もその理由をわかっていらっしゃらない。そうしなければいけないという社会洗脳。

地域住民の迷惑になるからと、活動を避ける事が、学校と地域住民との間に溝を作っている。





Q、今後、子供達が登校する時間帯に、地域の人々に外にでてもらい、そこであいさつをさせていく。そういう所から始めていきたい。(校長)


さゆ

それは同時に「子供を守らなければいけない」と防犯教育をしてる事と一緒。学校や行政が行っている下校時報のアナウンスも不審者から身を守ろうという概念を強め、疑心暗鬼な心を作っている。


校長

捉え方は人それぞれ。防犯教育の一環と言われてしまえばそうかもしれない。そういう事を言っていたら何もできない。





Q、知らない人への懐疑心を作る防犯教育をどうしても払拭していきたい(さゆ)


校長

みんなで真剣に考える良い契機になるのなら、波風が立つ時は立っても良い。ただ、失敗から学べる部分とこれ以上失敗したらまずい部分がある。500人近くのお子さんを預かっている以上、子供達を危険な目には晒せない。メディアがどう誘導しようと、何とかしなければいけないのは現場である学校。校長として、訳分からないクレームから教師を守ってやる事もしなくてはいけない。


さゆ

危険回避、迷惑をかけない、リスクを減らす、その偽善を利用して、大衆をコントロールしているのが現代社会。「偽善」それによって失う物の方が大きい。地域性を知ってるのも、子供に影響を与えるのも現場の人間。例え文科省のガイドラインと離れてたとしても、教師の自由と裁量がもっと生かされるべき。