遺伝子易経
63番の鍵
(神性のリング)
心の闇:疑い
天の才:探求
天の光:真理
3月 1日〜活性化
自分の方が正しい
とか
きっと伝わるはずだと言う期待。。。
ついうっかり
思い通りに事が運ばない時
相手に対して
感じてしまう不穏な思い。
または
相手の振る舞いが
明らかに心の闇だと
理解できる時には
『疑い』と言う名の
自信喪失感に苛まれてしまうと
気がつきました。
思考は解決策を求めて
左脳を総動員して対策し始めますが
その行為こそが
苦しみを生む?のだとしたら。。。
最悪の気分の中
63番の鍵の解説書を読み
知恵を授かり
大きく呼吸をしています。
心の周波数を
知ってからと言うもの
自分で自分の内側を見つめては
恐れや闇の振る舞いに出会う度
観照したり考察したり
友とシェアし合ったり…。
気づきが訪れない事も
多くあるけれど
気づきを得られた時の喜び程
心身に力を与え
自由な感覚が広がる事はないと
感じて来た私。
それはもしかすると
どこかで
そうするのが自分の中での“正しさ”に
なっていたのかも?と
気がつきました。
そうするか、しないかは
人それぞれであり
その人の人生を尊重する時
それがいずれ破綻すると分かっていても
黙って見守る事でしか
愛する事ができ無い時もある事を
初めて知ったのです。
ちょっと気を許し
古い習慣に足を取られ
感情に溺れれば
あっという間に崩れ落ちて
混乱状態に陥りそうです。
そうなれば
嫌疑は余計に増強されて
ますます頑なで頑丈な
心の扉に鍵がかかってしまうでしょう。
そして感情の波に呑まれた後
必ず訪れる思考の妄想達や
不必要な心配の数々は
誰を幸せにする事もなく
自分自身の心身にも
激しいパンチを喰らわす事を
経験が教えています。
愛するとは
極限まで受け入れ
許すし続けると
言う事なのでしょうか。
言うは易し
実際の体現には
完全なる“エゴの死”を伴う事が
論理的には
理解できるような気がすると
“思っている”
だけの現在です。
今日も最後まで
ありがとうございました