自慢と受け止められたら元も子もないんですが、
こっから書かないと、わたしの書きたいことの本筋に入れないんで、
まあ、読み手の方にどう受けとめられようと
書いておきます。
いわゆる、裕福な家に育ちました。
大きな家と大きな庭と、困る事のない暮らし。
生まれてしばらく、北海道で生活をし、
その後、祖母のいる茨城に引っ越してきたんですが、
祖母の厳しさは半端なかった。
小学生の時、わたし達家族は、祖母の家からほど近いところに
新しい家を建て、そこへ引っ越した。
全て新しい調度品と、望めばなんでも手に入る暮らし。
けど、いつも、満たされていないキモチと付き合ってた。
祖母の家も大きくて裕福だったけれど、
決して祖母は「贅沢」と「無駄」を許さなかった。
それは、きっと、戦後を生き抜いた女性であり、
女手ひとつで子供を育て、地位を自分の手でつかんだ人だからだろう。
引っ越して、祖母の家から出たあとは、
贅沢の二文字の暮らし。
流行りの物はすぐに買ってもらえたし、
海外製品も父の仕事の関係上、なんだって手に入った。
でも・・・・・・何かが違う。。。
わたしは、引っ越してからも、学校が終わるとまっすぐに祖母の家へ帰った。
自分の家へ帰れば、自分の部屋があり、
お手伝いさんが奇麗にお掃除をしておいてくれ、
おやつだって準備してあるのに、
それでも、バタバタとせわしなく働く祖母の家へ帰った。
どんなにバタバタしていても、祖母はわたしが行くと、
茶の間に来て、
「お茶でもしようか」
そう言って、仕事を中断し、わたしの大好きな芋ようかんを出してくれた。
そして、芋ようかんのお供には、柚子たっぷりの切干大根のお漬物。
家に帰れば、隣町まで車を走らせて買って来ておいてあるだろうケーキがある。
でも・・・・・・・祖母の家が良かった。
高級な生クリームのお菓子より、
芋ようかんと、おばあちゃんの漬けた、柚子と切干大根のお漬物が食べたかった。
そして・・・どんな高級なお菓子でも、
ひとりで食べる淋しさをわたしは知っていた。
母も仕事。
父も仕事。
家事はお手伝いさん任せ。
一見裕福でも、子供だったわたしの心は全然豊かになれなかった。
祖母といる時は、いつも顔も心も笑顔だった気がする。
芋ようかんを食べるわたしに、
「今時はケーキがはやりなんだろうけど、
日持ちがしないから、こんなのばっかでお前さんには不満だろうね~」
祖母はそういったけど、
「そんなことないよ」
そう言って、わたしは緑茶をすすり、芋ようかんとお漬物を
心から味わった。
その数日後のことだった。
いつもの通り、学校帰りに祖母の家に行くと、
早く、早くと、祖母がわたしを手招きした。
急いで家へ入ると、祖母は茶の間にティーカップを並べ、
冷蔵庫から、
「ほ~ら。隣町のケーキだよ。
今日は議会があって隣町まで行ってきたから、買ってきたんだ。
ふふふっ、おばあちやんとお前さんのふたり分だけだから、
みんなにバレないうちに早く食べちまおう」
そう言って、慌てて食べたっけ。
その時初めて、そこのケーキを「美味しい」って感じた。
ふたりで慌てて食べて、味なんかわかんないほど慌てて食べたのに
美味しいって感じた。
食は、味だけじゃないんだよね。
好きな人と笑顔で食べるから美味しいんだな~。
数年前まで、わたしも自分の両親と同じだった。
仕事・仕事で、お金で贅沢を買ってきた。
見せかけだけの贅沢を・・・。
今は、あの祖母との日々をおさらいするように、
丁寧に、丁寧に暮らしを進めている。
心を豊かにする為には、
心の豊かな友達を持ちなさい。
これは、祖母の教え。
今わたしは、心豊かな友達に支えられ、
こんな山奥に住んでいても、
細々と家族仲良く食べていける暮らしが出来ている。
先人の言葉は、いつも胸に刻んでおこう。
そして、こんな暮らしを応援してくれる友達に
感謝しきり。
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