シータヒーリングの掘り下げが苦手だったから。 | 福岡 共感ヒーリング ATHANAHA(あたなは)

シータヒーリングの掘り下げが苦手だったから。

ブロックの元になる感覚や感情を、手や、体感としてただ感じているだけで、すべては最高最善になる。

 

 

 

「マインドシフト」も「SOUヒーリング」も、やりだすと、「ぐにゃん」「ぐにゃぐにゃ」と、身体や脳が溶けるような、独特の感覚があります。

 

委ねていたら最高に気持ちいいんだけど、最初はちょっと慣れない感覚に驚くかも。

(うちの猫たちでも好きな子と、怖がるというか、嫌がる子がいました)

 

 

 

私は最初、シータヒーリングでセッションをしていたし、セミナーもやっていました。

 

でもどうしても掘り下げが苦手で、好きになれなくて、するのもされるのも、あと、「引き抜き置き換え」や「ダウンロード」を言葉でしたり、伝えたりすることにも、違和感を感じることがよくありました。

 

 

しかも、何回やっても、奥の奥のところが、「芯」が残ってるような感じで、それをどうにかしたくて全部のセミナーを受けたり、いろんな人からセッションを受けたり、

 

インストラクターの最高峰「サイエンス」になったら超えられるのかもしれないとなってもみたけど、ダメでした。

 

 

 

同じシータヒーラーでも、

 

①すぐに「変わった」と思える人、

 

②直後は「変わった」と思うのにしばらくすると戻ってしまう人、

 

③最初からピンと来ない、変わった感覚になれない人、がいて、

 

 

 

私は②のタイプで、時々は③の感じだったし、それは誰からセミナーやセッションを受けても変わらなくて、私の奥のもやもや、「芯」を解決することがどうしてもできなかったんですよね。

 

 

セッションしてくれてるヒーラーさんも掘り下げとか引き抜き置き換えとかダウンロードとか、他いろんなワークを一生懸命やってくれるのだけど、私がいまいちピンと来てなかったり、なかなか納得しないから、セッション時間が足りなくなって、「まだタイミングじゃない」とか、「変わると決めたらいい」とか言われて、終了。

 

何回セッションを受けても、いつも多かれ少なかれ不完全燃焼でした。

 

 

 

私はお客さんにやるときに、例えば、「引き抜き置き換え」で、「変わる」「変わりたい」「変えていいです」と言いながらも、その奥でぎゅっと縮こまるような、力が入るような「抵抗」を感じたら、まずそっちを解消してから引き抜き置き換えをやっていたんですが、

 

 

その時に、その抵抗のエネルギーをまるごと、

 

「無条件の愛の感覚でただ感じる」

「無条件の愛の視点でただ眺める」

 

というのだけやってたんですよ。

 

 

 

で、なるようになるまで、「介入しないように(「癒しなさい」他、いかなる「コマンド」「マニフェスト」も一切しない)」注意深く、辛抱強く眺めていたら、やがてフッと「終わり」の瞬間が来て、

 

 

そうしたら、その時にはもう、

 

「引き抜き置き換え」も終わっていたり、

ダウンロードも出来てる、状態で、

 

ほぼセッションとして仕上がってる感じ。

 

 

そのあとも、一応通常通りに引き抜き置き換えとかダウンロードを言葉でやっていましたが、それは最終確認しつつ補強、程度な感じ。

 

 

 

「引き抜きも置き換え」にしても、話をじっくり聴いたり、その人の感情に共感したり、過去や過去世を「自然に完了するまで(「癒す」的なコマンド、マニフェストさえしない。「意図」の介入、干渉をしない)」見たらもうそれも済んでしまってることも多いです。

 

 

変化が起こっているときのエネルギーは、一気にゴーっと来る感じなので、「引き抜き置き換え」や「ダウンロード」というのは、言葉にするのが到底追いつかないんです。

 

※特に、セッション後半〜終わり間際の、仕上げ的な段階に入ってる時とか、ものすごい量のエネルギー(情報)が一気にドドドドーって感じに来ます。

 

膨大なデータが、ナイアガラの滝みたいに、頭の上からドバドバ、ドドドドドーと降ってくるようなそんなのが、断続的に何度も来ます。

 

 

なので、その言葉を言ってるときにはその分はすでに変わっていたり(引き抜き置き換え)、入っていたり(ダウンロード)なんてしょっちゅうだし、そもそも言葉で表せてるのは来ているエネルギーのごくごく、ほんの一部でしかないし、

 

 

とどめに、ぶっちゃけ「許可」なんか取らなくても、その人の本心が望んでいるなら、全部どんどん自動的に起こるんですよ。

 

逆に、いくら口で「許可」していても、その奥の本心が何らかの理由で嫌だと思っていたら、そのエネルギーは弾かれます。

 

 

 

だからね、

「言葉での許可って意味ある?」って私はいつも疑問でした。

 

 

 

ヒーリングに来るってことは、基本OKなんだと思うんですよ。

 

変わるために、癒されるためにきているから、その結果になるものは奥の奥ではOK。

 

でも、心、感情が、ちょっと駄々こねてるようなもの。

 

 

 

なので私は、その人の奥の奥が本当に望んでることにだけフォーカスして、それを邪魔する「心、感情、その他の抵抗勢力たち」のエネルギーを調整するやり方へ変えました。

 

それが「マインドシフト」です。

 

 

 

そして、「SOU」は、もともと、

「もっとシンプルに、手を当てるとかで出来ないかな」というのから生まれたヒーリングでした。

 

 

それは、ヒーリングを学び始めた頃に出会ったあるヒーラーさん、彼女のヒーリングとその考え方が、私の心にずっとあったから、です。

 

 

 

彼女のヒーリングを受けた時の、心や体に起こったことへの驚きと感動。

 

ヒーリングであんなにはっきりと効果、変化を感じたのは初めてで、興奮して、

 

「私もこんなことが出来るようになりたい!」とすごく思ったんです。

 

 

あの時の感動、彼女のヒーリングとその考え方、それは、どんな時も私の中にずっとありました。

 

私のヒーラーとしての原点みたいな。

彼女は、永遠の私の心のお師匠さんなんです。

 

 

 

「SOU」は、ある日からお客さんにやりだしたのだけど、やっていくうちに、SOUはシータと組み合わせたら深いところの「芯」みたいなものがよく取れるってことが分かって、シータ+SOUのセッションをやりだしました。

 

 

 

2012年から初めて、セッションやセミナーもかなりやってきて、そのたびに検証考察してきたので、SOUは今はもっと私になじんで、今や私の一部です。

 

 

 

その人の奥にある、何かもやっとしたもの、

 

黒かったり、

グレーだったり、

どすーんと重い感じだったり、

 

悲しいとか、

寂しいとか、

嘆きとか、

絶望とか、

 

 

そんな感覚の「何か」、それは、過去だけでなく過去世とか、遺伝的な物とか、この地球での様々な集合意識とか、たくさんのことが絡み合った「何か」なんだと思うけれど、

 

 

それを丸ごと変えてしまったら、

 

その人のすべてが一気にごそっと変わるんですよ。

 

感覚も記憶も、別人レベルに

 

 

 

その「何か」が何であっても、詳しく見たり判断したりは必要なくて、ただ、変えたらよくて、

 

 

その時の体感が、「ぐにゃん」とする独特の感じで、それは脳だったり、身体のどこかの部分だったり、いろいろだけど、

 

それも別に理由とか原因とかは特に診断しなくてよくて、ただ、終わるまでやったらいいだけ

 

 

 

掘り下げが苦手でセルフワーク出来なかった私が、このやり方になって自分のことができるようになりました。

 

自分が納得するまで誰にも遠慮なく徹底的にやれるから、本当に根本からスッキリできたし、終わった後の変わった実感もものすごくはっきりしてたので、本当に満足できました。

 

 

 

終わると、始める前と全く感覚が違うし、一応、確認のために筋反射とか最初はやっていたけど、

 

もう始める前の自分をよく覚えていないし、

 

元の思考パターンとかも思いだせないことが多いし、

 

そもそも、つい数時間前の、ワーク前の自分がおぼろげすぎて、他人事みたいな感覚で、

 

だから、やらなくなりました。

 

 

 

ただ、「マインドシフト」も「SOU」もものすごく変わるのだけど、変わりすぎて、時々ふと、自分が誰だったか分からなくなることもあります。

 

 

過去の自分は確かに自分なのに、それは分かってるのに、

 

今ここにいる私は別人で、別人というよりも、「パラレルの私」がここにいるような変な気分になることもあるんです。

 

 

「あれ、私、私ってこんなだった?」みたいな、直前の自分がどんな人間だったか思い出せないような、まるで別人にでもなったみたいな、変な感覚。

 

 

「マインドシフト」や「SOU」の最中の「ぐにゃん」という感じ、あの後に間違いなく思考や記憶が変化しているし、身体、臓器や細胞にも変化が起きているから、そういうのを、科学的に調べたりデータとって検証したりできないかな、といつも思います。

 

 

血圧や血流、リンパ、骨や筋肉の変化、内臓、あと、脳波や、セッション中と後の脳の変化、思考や性格が変化したのかどうか、の心理学的テストとか、科学的に調べてみたい。

 

「ぐにゃん」の感覚が始まって終わるまでの科学的データを見てみたいです。

 

 

→私の奥にある、言葉に出来ない痛み、苦しさを癒せる人はいなかった