「学び」で解決するならヒーリングはいらない。 | 福岡 共感ヒーリング ATHANAHA(あたなは)

「学び」で解決するならヒーリングはいらない。

離婚とか、

虐待とか、

DVとか、

いじめとか、

 

病気とか、

失業とか、

 

受験の失敗とか、

失恋とか、

学校や職場での人間関係、雰囲気になじめなくてしんどいとか、

 

 

 

そういうの、スピ的には、「自分で選んだ」とか「学び」とか、って、

 

「そこから学びましょう」「学んだら終わる」とか、いう考え方があって、確かにそうだけど、

 

 

 

「自分で選んだ」とか「学び」とかってのは、頭での理屈で、

 

なんか、あのスピ的理論を利用して、「ネガティブ」と言われる感情を諭して丸め込んでなだめようって使い方するの、私はだいきらい。



 

今、苦しい、つらい状況にある人にとって、そんな理屈理論のお説教は、意味ないよね。

 

その場では、頭では納得して、そういう考え方を知ることで、違う見方をできる部分もあって、少しは紛れるかもしれない。マシになるかもしれない。

 

 

 

でもさ、悩みの状況にある時の、

 

今、つらい、

今、悲しい、

今、しんどい、

 

そういうのって「感情」なんだよ。

 

 

 

その「悲しい」にも「つらい」にも「しんどい」にも、理由はあって、

 

それは直接的な関わる人や状況での原因と、そもそもそれが起こった原因の過去の出来事とか過去性からの何かとか、もちろんあるけども、

 

 

 

でも、今の感情は、今の自分、「今のわたし」が感じてる、感じる権利のある、大切な「経験」なの。

 

その原因とか理由とか、そんなのどうでもよくて、その正解を探すんじゃなくて、

 

 

 

ただ、感じる、

 

それだけでいい。

 

 

ただ感じる、それが一番必要で、一番大切なステップ。

 

 

 

ただ、感じて、

 

そこから、自分で、自分のペースで、回復していく中で、

 

その道のりの中で、いろんなことを思い、考え、気づいていく、ことが、「学び」。

 

 

 

それがどういうものになるのか、それは人それぞれ十人十色で、唯一の正解なんてなくて、

 

 

「ああ、そうかあ」ってその人が思ったこと、到達した結論、

 

それが、「学び」で、

 

一つ一つが「悟り」なんだよ。

 

 

 

ただね、つらい、苦しい、悲しい、その感情を、その自分を「ただ感じる」って、とてもとてもしんどいから、

 

本当は、「それ」は感じつくしていったら自然に過ぎていき、なるようになっていき、最高最善の結論に必ず到達するのに、

 

 

でも、それには、「ただ感じる」、

 

その苦しい、不愉快な感情や感覚の状態に留まり続けないといけなくて、

 

 

それが自然に過ぎていくのに合わせて、じっと辛抱して留まる、ことが必要だから、それに耐えられなくて、

 

だからみんな、何でもいいから「答え」を見つけて、それが「正解」ってことにして、それにすがって、早くそのしんどい状況を抜けようとする。

 

 

 

 

「感情をただ感じる」って、言葉ではよく言われていて、とてもシンプルだけど、

 

シンプルだから、「やり方」」で聞いてできるものではなく、自分でその感覚をつかまないといけない。

 

「ああ、これが ”感じる” ってことか」ってのを。

 

 

 

だから、本やブログを読んで、ノウハウ的に知って、頭で理解してやろうとしても、絶対にうまくいかない。

 

でも、「ああ、これがそうか」って自分の体で、感覚でわかったら、「感情を感じる」とか「感じ尽くす」ってのができるようになる。

 

 

 

「ただ感じる」

「感じ尽くす」

 

それがヒーリングの基本で真髄で、完成系。

 

 

 

「その感情をただ感じ尽くす」、それが正しくできたら、

 

その奥にある過去の経験や、親先祖からの影響や、過去性からの影響や、

 

 

そういうのも丸ごと含めて、「最高最善に変わる」んです。

 

 

すべてが完璧に、

何もかもが「最高最善になる」のです。

 

 

ただ、感じる、感じ尽くすだけで。

 

 

 

それが私のヒーリングの考え方でやり方で、セッションでもそうするし、

 

 

「マインドシフト」や「SOU」という、私のヒーリング手法は、

 

「ただ感じる」

「感じ尽くす」をやり続ける、

 

「ただ、あるがまま」

「今ここ」を、感じる、その感覚を使い、

 

 

セミナーやコースでは、その感覚を見つけて、気づいて、使う訓練、

 

そういうのを教えています。

 

 

→ ただ、後悔してる自分をそのまま、「そっと」しておく。