「何がしたい?」 「本当にやりたいのは何?」②
「何がしたい?」 「本当にやりたいのは何?」①
そのコンビニの時給って、確か650円とかじゃなかったかな当時。
毎日こんなひどい思いして、腰痛にまでなって、なのに何でさっさと辞めなかったんだろうと今なら思うけど、そういう性格だったんだねまだ。
これ、ひとつの理由は、一緒にシフトに入っていた専門学校生の女の子がいて、Aちゃんとしましょうか、彼女とのシフトのときはいつも店長の悪口や当時流行っていたドラマの話とかで楽しかったんだけど、
「やめるときは一緒ね」みたいに言ってたからw
お互い、こんなとこに一人残されるのは嫌だったんですわ。
時々店長の息子と一緒にシフト組まされたんだけど、この子は要するにヤンチャして高校やめたか何かで、そういうお仲間がいつも来てはたむろすの。彼のシフトのときは。
で、あんなに口うるさいくせに、店長は息子には甘くて、そしてこの息子とシフトだといつも彼女のノロケも聞かされる。
その彼女というのが、そのクソ女と一緒に午前中から午後に入ってるバイトの子で、まあ、この子も相当いい根性してた。
ある意味お似合いのカップルだった。
私とAちゃんはその後やめたんだが、私は辞めてからその店に買い物に行くことさえなく(近所だったけどもう嫌だったの)、まったく関わっていないから、あの二人が付き合い続けたのかも、結婚までしたのかどうかも知らないけど、あの店長夫婦が親なわけで、あの子が嫁で、となると、ほんと、付き合うとか結婚とかのご縁って「類友」なんだなあとつくづく思う。
まあ、この息子は当時17とかそのくらいで、まだ子供だったからいくらか可愛いところもあった、とフォローしておこう。
そのコンビニはその数年後だったかに閉店してた。
内心ザマアミロと思った。
辞めた後、最後のバイト料をもらいに行って(この店は手渡しだったから)、その時に制服はクリーニングして返した。
店長に直接渡して、同時にバイト料をもらって、で、帰ってから明細を見たら、「クリーニング代350円」が引かれてた。
クリーニングした袋の制服を渡したんだから、その時に私がクリーニングして持ってきたことは分かってるのに、そこをスルーしてシレッとそういうことをしてきた。
ブスーッとしながら、超無愛想なまま、給料を渡してきた店長。
ほんとはもう関わりたくなかったから、貰いに行くのも気力が要ったけど、「あんなにつらい思いして稼いだんだから絶対貰うぞ」と思いながら行った。
この一件以来、「私はコンビニのバイトだけは今後一生しない」と決めたんだ。
コンビニってたいてい個人経営で、そこで働くというのは、経営者がいつもそばにいる、彼らと一緒に働くことになる。
それがどういうことなのか、もう本当に骨身にしみたので、「働くなら経営者やその一族が社員とか従業員にいない会社にする」と心に決めた。
でも、今の私がこの時の私を見て思うことはね、あの店長は最悪だったし、あそこで長く働いていた人たちも性格悪くて、そこはひどかったけど、
世の中の時給って、雇われて働くってそういうことなんだなってこと。
従業員は、雇用主が求める成果を出すための仕事をする、ということを求められてる。
私が「こうしたらいい」と思うことと、経営者、雇う側が「こうしてほしい」というのは違っていて、私はそこを掴めなかった。
だから私自身はサボっている気持ちはなかったし、ちゃんとやっていたつもりだったのに、「評価されない」「誤解される」状況を生んでた。
私はまだ学生気分が抜けていなかったし、言われたことはやっていたけど、自分で仕事を見つけてやる、ということに対しても中途半端だったと思う。
このコンビニの件があって、その後、近所に大型スーパーがオープンするのでスタッフ募集していて、そこにパートで入ることになる。
大学院入試に失敗したから、しょうがない、どこかで働こうと思ったけど新卒じゃないし、とりあえずなんとなく、そこに入ってみた。
大きな会社だから、コンビニのときのようなことはないと思ったし、オープニングからいればいろいろやりやすいかなと思ったから。
そこは、百貨店も持っている大きな会社で、そのスーパー部門の所属だった。
さすがここは入社前研修がとてもしっかりしていて、ラッピングから、接客のやりかた、熨斗の種類やその時の包み方、墨の色の違いなど、とても詳しく教えてもらえた。
ここの接客の教え方はしっかりマニュアル化されていて、お辞儀の角度、笑顔の作り方、目線、声の出し方、言葉遣い、そういうことを身体で覚えさせるやり方で、だから、個人の主観で接客態度がバラバラになる、ということがなかった。
私は、ここでの訓練で、「目を見て話す」「笑顔にすぐなれる」ということが鍛えられた。
これって向き不向きとか関係なくて、ほんと、ただの慣れ、そういう体の使い方、顔の筋肉の使い方を覚えれば誰でもできる。
この時の訓練とその後の店頭での経験から、「笑顔」が私の武器になった。
よく褒められるようになったの。
あと、シータヒーリングで海外に行ったときに、目を見てコミュニケーションできるから、それもよかったと思う。
英語分からないので美しい会話なんて出来ないけどw
で、二か月間の研修のあと、配属が決まってオープン準備をして、オープン、となるんだけど、結局これも立ち仕事なんだよね。
ここから、腰痛はさらに悪化して、習慣化、慢性化していくのであった。
続きます。