「最高最善の結論」は意図する前にもう存在している。
私が自分をヒーリングする時に何やってるかというと、
私のやり方では、
「気付き」から始まるんですね。
例えば、
「こうなったらどうしよう」的な不安が出てきたとしたら、それに対してヒーリングします。
この不安というか、そういうのって、何かをきっかけに奥の方で動くというか、湧き上がる感覚で、
「こうなったらどうしよう」と思った時にはもう気付いていて、
それっていわゆる結果で、
「そう感じている」と気付いたよりももっともっと前に、奥の方で生まれたものなんです。
それは、「ちはやふる」で言うなら、「音になる前の音」のような、
確かに存在しているけどまだ形になっていない、生まれた瞬間のそれ、のようなもの。
でも、その一瞬の反応のなかに、実は、
「こうなったらどうしよう」と感じる原因、
その感覚により身体に出る反応、
次々湧き上がる感情、
そういうものの原因のすべてがあります。
過去の経験、記憶、過去世、遺伝的なもの、そのことに関連する魂の記憶のすべて。
だから、「『感じた』と感じるよりも前」の「それ」にフォーカスして感じつつ観察すると、「それ」は変化を始めて、やがて、最高最善の形にたどり着きます。
顕在意識での「意図」は必要ありません。
「最高最善の結論」はいつも存在していて、
それは私たち人間の概念で、言葉では表せないもので、
「感じ」という以上の表現は無理だから。
それに任せながら、正しくそこにフォーカスして観察を続けて「終わる」と、
最初のきっかけ、「こうなったらどうしよう」と感じたきっかけの何かに対しても、もう同じ反応をしなくなっています。
その奥の「感じ」は一番の大元で、
その一瞬には膨大なデータが潜んでいて、
それらが複雑に反応し合って「こうなったらどうしよう」になっているのですが、
その大元を変容させることで、
他の結構広い部分にも、
多岐にわたって様々な変化が起こっています。
いわゆる「思考パターン」「ブロック」と言われるものも、大元からしたら「枝葉」なので、それも自動的に最適に変化しています。
記憶も、そこにあった未消化な感情も、
なので、直前の、ヒーリング前の自分を思い出せない、「最初からこうだった」ような気分になっていて、
「違うのも分かるし、すごく軽くて楽なんだけど、どう変わったかと言われるとよく分からない」という感覚になります。
脳も、身体の他の細胞も、DNAも、分子で、原子で、それよりももっともっと小さい「何か」で出来ていて、
このヒーリングにおいてはそのレベルからやっているので、とにかく全部が最高最善に変容しています。
そもそも、記憶は脳にあり、感情も脳の反応の癖であり、DNAにも細胞にも記憶的な情報は蓄積されているのだから、
ヒーリングして「思考パターン」とか「ブロック」が変化するとしたら、関連するその部分が変わっている、というのは当然ですね。
私のこの手法は「マインドシフト」「SOU」と呼んでいるのですが、自分でやるときは、この両方を一緒に使ってやります。
アプローチが違うだけで、それが起こる仕組み、原則は同じで、
「マインドシフト」がより真理に近付いた、シンプルになったものが「SOU」だからです。
陽と陰、
男性性と女性性、
左脳と右脳、
そんな感じで、
両方揃うことで完結され、より完璧になる、そういうものです。
「マインドシフト」も
「SOU」も、
日常の様々な場面で、
SNSを見たとき、
誰かのブログやコラムを読んだとき、
映画やドラマを見たとき、
何かを買い物する時、
家族や友人知人、職場など、
様々な状況で「人」と接する時、
目に入るもの、
聞こえるもの、
肌で感じること、
そういうことのすべてにおいて、自分の「反応」に気付いたらすぐにセルフヒーリングが出来て、
終わると、そこからもう全然違う感覚、別人のような、そんな感じになります。
このヒーリングは、
特別な道具も、
唱えるような言葉も、
身体を使った動きも何もないので、
やっていても、はたから見たらただボーっとしてるとか、目をつぶっていれば「寝てるのかな」と思われる、普通の人の普通の様子にしか見えないので、いつでもどこでもできます。
慣れてくると、運転中とかでも軽くはやれたりします。
ガッツリは無理ですけどね。
あとでしっかりやればいいから、ちょっと手を付ける感じです。
美容院で施術してもらってる時とかにも出来ますよ。
ヒーリング自体は速いときで数分、ガッツリやろうとしたら数十分~数時間かかったりもします。
直前の嫌な感情や感覚はすぐに変化して、さっきまでドスーンと重かったり、イライラしていたり、が憑き物が落ちたように無くなって、
「なんであんなに怒ってたんだろ?」
「何に落ち込んでたんだっけ?」になったりします。
こういうことを日々、気付くたびにやっていたら、私の場合はある日、「猫アレルギー」が緩和していました。
もっと日常的には、首や背中の痛み、腰痛、凝りからくる様々な症状も、自分でケアできるようになれます。
(軽いのだったらすぐだけれど、ひどくギックリしたりしてたら、一時間くらいかかるかな)
あとは、「感じる」力、リーディング力が増していて、
それまでよりも様々な感覚に対して鋭くなっていたり、キャッチしやすくなっていたり、ひらめきがよく降りてきたり、
いわゆる「サイキック力」というものが増していました。
研ぎ澄まされたというか、
精度が上がったというかね。
人に対した時も、ペットや動物、植物や昆虫、その他「見えない存在」とかでも、とにかく「分かる」感覚がさらに鋭く、一瞬で分かる量も精度も格段にアップした。
こういうことが起こったりね↓
日常で自然に気付いたことの他に、「この自分(現実)を何とかしたい」で始めることもありますよ。
その時には、またその時の「感じ」の探し方があって、そこを見つけてしまえばやることは同じです。
この手法は、「宇宙の最高最善の結論」に任せるから、とてもとてもパワフルだけれど、
私たち人間の意識のまま「意図した通り」とか、「こういう結果じゃないと嫌だ」という、
「現実的な」具体的なことを思った通りに起こす、
そういう意味での現実コントロールはほぼ無理なんです。
その執着があるとうまくいきません。
効果がないわけじゃないけれど、
「根っこ」からずれるというか、
その人間レベルの干渉で「宇宙の完全性」が邪魔されて、結果中途半端なことになり、結局やり直し、観念せざるを得なくなります。
とてもパワフルで、変化が大きくて、
それは宇宙的な概念、規模、そのレベルで起こるから、
やればやるほど現実にはびっくりな動きが起きたり、それは面白いし、その奇跡は楽しめることが多いけれど、
同時に、人間の意識がついてきていないところはしんどいというか、一見嫌な、つらい出来事も起きたりします。
例えば、仕事を変わらざるを得なくなったり、それまで仲の良かった人となぜか合わなくなって疎遠になったり、離婚することになったり、とか。
ただそういうのは、実は分かっていたのに現状にしがみついていた、それがごまかせなくなって目の前に選択として突きつけられただけ。
そこを通ったら、先ではもっと自分らしく幸せになれる、ということのために起きている、というか、結局は自分で起こしたことです。
こんな風に、未来の不安や怖れからの執着、本当は望んでいない現状、それからの意図はひっくり返されて、遅かれ早かれ必ず観念させられます。
「マインドシフト」「SOUヒーリング」のセルフワークをやればやるほど、人生が急加速しますが、それは予測不可能で、
人間としての常識やそれからの執着(「そうはいっても今は…ごちゃごちゃ」みたいなのw)はことごとく破られ、本当の本心の願いにグイグイ引っ張られます。
そういう意味ではきついです。
セルフヒーリングをあまりガッツリやらない、ペースをゆっくりにすると、いくらかは楽です。
スピードは落ちますけどね。
やりまくると、時に死にそうにきつい現実が来たりもします。
嫌でも気づかされる、本筋に強制的に戻されることが起きまくります。
素直に流れや直感に従って執着を手放していけたら、そんなにきつくないんですけどね。
むしろ「楽々スピーディ」な感じでいろいろ叶っていく。
(まあ、ここでも人間意識での「願い」や「予想」は裏切られますけどね(笑))
何ていうか、「宇宙的」ってみんな憧れてるみたいだけど、人間の意識が追いつかないときついんですよ。
私のヒーリング法を自分にやりだすと、
「いやまだ心の準備が」とか
「いやそうは言ってももう少し(ごちゃごちゃ)」とか言わせてももらえない、
徹底的に自分に正直な生き方に強制的に修正されていきます。
今の自分や悩みを解決して、次の自分のステージに行きたい、
どんどんスピードアップして次々レベルクリアしていきたい、
この人生で行けるとこまで行くぜ!ノーブレーキOK!!、
って人にはとっても楽しいヒーリング法です。
これ以上にワクワクなアトラクションはないと思う。
スピード感、スケール、すごいです。
ただ、「でも」「だって」「そうはいっても」を続けたい人、「普通」「常識」「べき」の世界で、ゆっくりそれを味わって生きたい人には向きません。
そんな感じです。