亡くなった者に対していつまでも後悔してしまう理由
父が亡くなる少し前のある日、自宅で一人いた父から具合が悪いと電話が来ました。
その頃、父はどんどん弱っていて、一人で家に置いておくのが心配だったから、仕事中でも様子が見られるように、家のPCとサロンのPCをスカイプで繋いでいたんです。
スカイプカメラで父が見られるように、それで通話もできるように。
父は我慢強くて、少々のことで弱音を吐く人ではなかったですが、この頃はもう相当しんどかったのか、「すぐ帰ってきてくれ」と言われました。
スカイプカメラで見ると、起き上がれなくてきつそうな父の様子。
だけど、私はまだセミナー中で、サロンから家までは30分はかかる。
なので、私が救急車を呼びました。
救急隊員からは私も来るように言われましたが、仕事中ですぐには無理、終わり次第向かいますと話し、セミナーは最後までやりました。
受講生さんは、すぐ行ってあげてくださいと言ってくれたんですけどね。
私は、セミナーを続けました。
(これは、この時の状態が危篤とか、命に関わるということではなさそうと判断したからですが、今だったら、すぐ行ったかも)
この頃の父は、もうあまり長くなかったんです。
でもそれは、当時の私には分からないことで、父が亡くなった今だから分かることで、
その頃の私はいろんなことでいっぱいいっぱいで、その中で良かれと思う選択をして精一杯頑張ったのだから、仕方のないことなんだけれど。
焦ってガツガツ仕事なんかしないで、もっとたくさん父のそばにいてあげたら良かった、
一緒の時間を大切にして、もっとたくさん話をすればよかったと、
今も時々、後悔とともに思い出します。
とはいえそれは、今の、あの頃よりは成長した私だから思えることで、
今さらいくらあれこれ考えたところでやり直せるわけじゃないし、どうしようもないことも分かっています。
父や母、祖母、
今まで見送ったペットたち、
亡くなった者に対する様々な後悔はすべて、
ただ、生きていてほしかった、
死なれて悲しい、
いなくて寂しい、
そういうこと、
それだけなんですよね。
亡くなった者に対する様々な後悔は、
その相手と、少しでも長く一緒に生きていたかった、
本当に大切で、大好きで、愛していた、
そうだから、してしまうものなのだと思います。