春ジャズライブを終えて・前編 | ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

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ジャズヴォーカリストMASAYO/北海道出身

こんにちは!MASAYOです。


いよいよ桜のシーズンとなりましたね。私のほうはひと足お先に、春ジャズライブ〜Jazz Nostalgia〜を終えることができました。このようなお忙しい時期に、わざわざお運び下さった皆様には感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました。


この度は、お客様の人数としては少なめでしたが、かえって親密な会になったように感じます。私としては、これまでで一番よい雰囲気の中で歌うことができました。ありがとうございました。


また、今回特に言えるのは、会場の音の響きが神がかって?ました。会場のバーリクエストさん、普段は本格的なバーで、ライブのときだけ模様替えをしてステージと客席の設定をして下さるんですが、楽器の編成によっても変化するその配置が、今回うまくハマったようです。ミュージシャンも驚くほど楽器もよく鳴り、生演奏すごい!という感想が多く寄せられました。とても嬉しかったです。


さて今日は敢えて歌の反省ではなく、MCの中でミュージシャンとやりとりをして感じたことを書いてみたいと思います。よろしければおつきあい下さい。


演奏して頂いたのは、ピアニストの加納新吾さん、ベーシストの時安吉宏さん。私はお二人とは初顔合わせでした。


来て下さったお客様の大半は、普段からジャズを聴いているわけではない方々だったので、MCの中でどのように彼らを紹介しようかとライブの前から考えていました。でも、彼らの個々のライブの宣伝とか有名でテレビに出てるとかの喧伝だと、いかにも営業っぽく安っぽい気がしました。


そこでインタビューとしてお二人に、彼らが一番好きな、もしくは影響を受けたミュージシャンをあげてもらうことにしました。


こんな質問、ベタすぎて今更だれも彼らにしないでしょうし、私自身がお二人をよく知らないので、私が一番聞きたいことを聞けばいいんだと思ったんですね(笑)


答えるのが難しい質問だとは承知していましたが、どうやって切り返されるのかも楽しみでした。


まず、加納新吾さんのお答えは、やはり少し困ってから、でもジャズを始めた頃のことを思い出して、ピアニストのオスカー・ピーターソンを挙げて下さいました。


そのあと。


彼が、印象的なことを言ったんです。


ジャズって、人だと思うんですよね。


私はそれを聞いて、確かにジャズの演奏家は個性的な人が多い、というまとめ方をしたと思います。


が。


ライブの後で考えたら、結構それだけでは済まされないものがこの短いセリフに含まれていることに気づき、膝を打ちました。


加納さんの意図とは違うかもしれないけれど、たぶん、


ジャズって、(曲っていうより、演奏する)人なんだよね!


ということを言いたかったのかな、と、思ったんです。


ジャズに馴染みのない人が、ジャズを聴きに来ませんか、と誘われたとします。でも、それだとなんだか漠然としていて、あまり魅力を感じないかもしれません。あの、カフェとかで流れてるオシャレな音楽のことかな、と。でも、それならわざわざ聴きに行かなくてもいいかな、と考えるかもしれません。


ジャズが好きな人たちって、あのBGMのジャズにワクワクしているのかな、不思議だな。そう思っているかもしれません。


でも、そのBGMが、ある人にはオスカー・ピーターソンであり、ビル・エヴァンスなんですよね。ぜんぜん聞き流せないんです。


ジャズが好きですと言う人たちは実際、ジャズというジャンルだからというよりはむしろ、最初は「人」にハマって聴き始めているはずです。ジャズについて小難しいことを語る人もいるけれど、その人たちもきっとそれらは後付けで、初めは雷に打たれるように、もしくは激しい恋に落ちるように、大した理由もなしに誰かの演奏の虜になったはず。


人々にそういう啓示を与える、強烈な個性を発するミュージシャンが、モダンジャズ時代に、綺羅星のごとく現れたのでした。


それまで、ジャズはスウィングというリズムの、人々が踊るための音楽として、主に楽団で演奏されていました。


そららの数多の演奏家の中から、技術に優れた革新的なミュージシャンがライブハウスに集い、小さな編成で素早いリズムの独創的なソロ演奏を、競い合い始めました。そのように、個人がスターになったときからが、モダンジャズの時代と言われます。そのスターたちの演奏が、いまだ大きな影響力を持っています。


そのあとから現代に至るまでジャズミュージシャンたちは、その歴史を十分に理解し、彼らのようになりたいと願いつつ、日々研鑽を積んでいると思います。ただ、彼らのようには絶対になれないという苦悩も、同時に抱えることになります。それが、自分自身の表現を追求するきっかけとなっていくのでしょう。


さて。


加納さんは、そういうことを短く伝えてくれたんだと、私は思うことにしました。


その後。


時安さんが同じ質問に答えてくれた内容が実は、加納さんと同じことを、今度は具体的に説明してくれたものだということに、今の私は気づいています。


その時安さんの回答については、大変長かったので(笑)ちょっと頭を整理してから次回、後編でお伝えしたいと思います。また、読みにいらして下さるとうれしいです。


では、本日もありがとうございました。