コウモリのいない森 第14/16回 | ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

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ジャズヴォーカリストMASAYO/北海道出身

そのあと僕たちは何をしようかと話し合い、裏山のミニお遍路に入ってみることにした。大雪のあとさすがにそこは通れなくて、うんと遠回りなのだが僕は参道から買い物に出るしかなかった。それを聞いて嶋くんが、それなら2人で除雪しながら歩いて道を作ろうと言ってくれたのだ。僕は一応彼に面倒じゃないのかと聞いたら、嶋くんは駅前に住んでいるので、ここにそんな山道があるのを知らなかった。だから迷惑どころかぜひ行ってみたいと言う。それで僕たちはそれぞれ雪かきのスコップを携え、いざ山へと向かった。その前に横切るべき裏庭もまあまあ広いのでそこも進むのに苦労したが、森に入ると木々が屋根になっているからか、多少積雪が少ないような気もする。それでもやはり日陰なので解けている感じはなく、お遍路の石像も埋もれていて、元の道もわからないくらいに積もっている。ちょっとずつスコップで除雪しながら行くのが確実だと知りつつ、歩くだけで道をつけられるに越したことはないので、道を知っている僕のほうが先頭で大胆にズボッ、ズボッと進んでみる。雪は降りたてのときより締まっているので、脚を抜かずこぐように行くことはできない。だからと言ってその固さは人の体重を支えるほどではないから、一歩ごとにいちいち深くはまり、そうなると次の動作を繰り出すのが大変だ。まるで泥沼を歩くようですぐに体力を消耗するし、そのうえ坂道ときているので、僕は数歩でへとへとになってしまった。すると真後ろについて来ていた嶋くんが突然、「うぉーーーっ!」と叫んだかと思うと、スコップを槍みたいに持って行手の少し先に投げ入れた。そして戦場で突撃する人みたいな勢いで僕を追い越した。さすが嶋くん、彼は僕なんかよりも雪を知っているし、気力も体力も勝っているのだな。しかし頼もしく感じたのも束の間、彼も僕と同じように、ズボズボと何歩か行っただけですぐバッタリと倒れてしまった、彼の場合は顔面から。僕は大笑いしながら、彼のつけた足跡を利用して楽に嶋くんにたどり着き、彼を表向きに返した。嶋くんは起き上がるどころか目も開けず、顔にべったりついた雪をはらおうともしない。僕は青ざめて「おい」と肩をゆすった。動かない、と思った瞬間、彼がつかんだ雪を急に僕の胸にぶつけてきた。やられた。僕が油断した隙に彼はもう起き上がり、笑いながら雪上を四つ足の動物みたいに逃げていくのだ。僕はこのーとかちくしょーとかうめきながら無理矢理雪をこいで追いかけた。嶋くんは振り返って笑顔で僕にサムズダウンしてみせている。僕は必死になって上るが、追いつくどころか差は広がる一方だ。こんなに息がゼーゼーと上がる感覚を味わうのはいつぞやのマラソン大会以来だ。それなのにあの嶋くんはどうだ。確かに彼のハアハアという息づかいは聞こえるが、その脚は一向に止まらない。あの人只者じゃない、何かで鍛えているにちがいない。そんなことが頭をよぎりながら僕は、膝に手を当てたポーズで降参、と言おうとしても息苦しくて言えず、嶋くんが立っている場所を苦々しく見上げた。勝ち誇っているかと思いきや、嶋くんの表情は少し曇っているようにも見える。でも次の瞬間、僕はあることに気づく。しめた!力をふりしぼって走り出す、嶋くんとは別の方向へ、上ではなく左上へ。躊躇して出遅れたせいで、完全に嶋くんは後手にまわった。僕は息も絶え絶えたどり着いた場所を犬みたいに掘る、嶋くんが背後からよろよろと忍び寄るのを感じながら。そして彼が着くギリギリ手前、僕の手がお遍路の四番の石像を掘り当てた。それを見て彼はあっ、と言いながら膝を落とした。「コースアウト!こっちがゴールだ」僕は高らかに宣言した。「マジかー!」「ははは」「くーっ」嶋くんは頭を抱え、そのままその場にゴロンと転がった。僕もハアハア言いながら仰向けに倒れる。二人ともそのままで呼吸を落ち着けようとし、やがて起き上がるために四つん這いになった嶋くんが言った。「悔しいけど、コースケは正しい。遊んでるうち道を逸れて遭難でもしたらやばい」(ところで僕の名前はコウなんだが、嶋くんは僕のことをコースケと呼ぶようになっていた。)「よし」僕も立ち上がりながら機嫌よく言った。「じゃあ、ちゃんと着いてきてよ」「ふん」僕たちは今度は、道を探りながら雪中行軍くらい真面目に進むことにした。もちろんいちいち雪にはまることに変わりはないが。そしてなんとか十二番まで来たとき、ついに嶋くんが言った。「なあ。今日はここまでにしよう」僕はゼイゼイしながら嶋くんを見た。彼はあっけらかんとして、それほど息も上がっていない様子なのに驚く。「コースケはよく頑張った。でも、さらにお墓まで行って帰ってくるには疲れ過ぎてるよ。ここで引き返そう」僕はそれでよかったので、ゼーゼーのまま大きくうなずいた。彼の言う通りだ。僕は無理でも、嶋くんだけならお墓までも八十八ヶ所全部でも行けそうだが、どのみち彼は元の道を知らない。「歩けるか」「大丈夫」僕は帰ると思うと元気が湧いてきて、嶋くんの後に続いた。途中彼は心配そうに、足のふらつく僕を何度も振り返ったが、家が見え隠れしてくるとようやく陽気になってしゃべりだした。「あー、ボブスレーあればよかった。滑りながら帰れるしな。ここ、最高のコースじゃん?」それから彼は子どもの頃の思い出話をした。こういう山道で兄弟でそり遊びをしていたら木に激突し、子ども用のボブスレーが粉々になった。(細い木だったので木のほうが折れてケガもせず助かった。) 長靴に取りつける子ども用のプラスチックのミニスキーで登校したら怒られた。(しかも自分は赤が好きなので赤いミニスキーを使っていたら、周囲から女子みたいだと言われた。)それはちょっとしたことですぐ折れるのが難点だが、子どもは軽いし、ちょうどかんじきの役目をして雪に埋まらず歩けた、等々。僕たちは、今度ミニお遍路に入るときには大人用のかんじきをホームセンターで買って、ボブスレーを持って行こうなどと話し合った。僕は嶋くんに数日泊まって行ってもらうつもりだったので、それは少なくとも数日中に果たされる楽しい予定になるだろうと考えた。しかし、家に戻って雪で濡れたぶんの手袋や靴下などを干して乾かしながら、僕が缶ビールをすすめると、嶋くんは言った。「夕方までには、帰らなくちゃ」僕は多少のショックを受けながら言った。「ゆっくりしていけばいいのに」「夜には喫茶店に出ないと。もう来週、クリスマスっしょ」「えっ」僕は忘れていた、というより、気にもとめていなかった。そう言えばこちらに来て以来、暦に気象以外の意味を見出すことがなくなっていた。「今時期から、クリスマスディナーみたいなのとかさ。忘年会の予約とかで、稼ぎどきなんだ」それで今日も丸一日の休みは取れなかったらしいのだが、嶋くんは今日の今まで、僕にそれを言い出せなかった様子だった。僕は自分がひとり冬休み気分なのが恥ずかしくなりながら、小声で「そっか」とつぶやいた。「年末年始、どうすんの」嶋くんがわざとのような明るい調子で言った。「ここで過ごすよ」「ひとりで?」「うん」嶋くんは小指を立てて、これは?と口パクした。僕は首を左右に振った。彼はなーんだという顔で大げさに肩を落として見せた。「お互い、ぜんっぜん色っぽくないな」嶋くんは、年末年始に僕がもし寂しければ、喫茶店に来たらいいと言ってくれた。その代わりこき使われるという条件つきで。僕はその親切をひとまずありがたく受け取っておくだけにした。もしかしたらお世話になるかもしれないし、ならないかもしれない。年末の実感がわかないのだ。さて、嶋くんの始業時間までには少し時間があった。それで僕は、嶋くんのレビンで買い出しに連れて行ってもらうことにした。それなら、ついでにホームセンターにも寄ってかんじきを買うぞという話にもなった。それが次に会う約束のようなものになると感じて僕は喜んだ。車なので、いつものスーパーではなく大きなショッピングモールまで走ってもらう。そこでは流行りのクリスマスソングが延々と流れ、家族連れが見られ、あちこちに楽しげなクリスマスデコレーションがなされていた。こういう世界にずっと属してきたはずなのに、今は自分が何だか場違いみたいに思いながら買い物を済ませる。それから買ったものを積むため嶋くんがトランクを開けてくれたとき、そこに木製の棒みたいなものが放りこんであるのが僕の目に止まった。それは平たくて色がついており、たぶん半分くらいの長さで折れていて、片方の先端は角度がついて黒いテーピングで巻かれ、もう片方は持ち手なのか白いテーピングでぐるぐる巻いてある。そんな僕に嶋くんが目を止めて言った。「アイスホッケーのスティック」「アイスホッケー?」「うん」嶋くんはそう言い捨ててカートから僕の買い物袋を軽々と取り出し、トランクの中に並べていく。「どうりで。体力あるわけだ」僕は助手席につくなり興奮気味に言った。「そうでも」嶋くんは素気なく答え、タバコに火をつけてからエンジンをかけた。そして自分は確かに子どものときからアイスホッケーをしていたが、それはT市では珍しくないことなのだと言った。ここではそれは野球とかサッカーみたいなもので、家にサッカーボールの一つや野球バットの一本でもあるみたいに、T市の家庭にはアイスホッケーのスティックがあって、自然とそれを振り回したり物干し竿になったりしているのだという。「じゃあ、何で折れてたの」「激しいスポーツだからな。折れることはよくある」「へえ」僕は嶋くんにアイスホッケーの話をさせたかった。彼が僕にとって未知なる競技ができることに、純粋に感動していたのだ。でも最初から、嶋くんが冷めているということだけが十分伝わってきた。防具がカッコいいと言えば臭いだけと言うし、試合を見てみたいと言えばリンクは寒いからよせと言う。質問すれば一応答えてはくれるけれど、いちいちトゲがあってやりにくいことこの上なかった。それで僕はアイスホッケーの話題は金輪際あきらめた。やがて車がホームセンターに着くと僕たちは雪遊びの計画に夢中になったので、アイスホッケーのことは僕も忘れ、そのままになった。