絶対に観てはいけないトラウマ映画『ソドムの市』(1976)レビュー | SayGo's 映画レビュー

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勝手に映画鑑賞して
ダラダラとレビューします。

本日鑑賞したのは

内容や描写の過激、露悪さから上映禁止が相次いだ

エログロカルト映画

『ソドムの市(オリジナル全長版)』

公開日:1976年9月25日

上映時間:118分

 

イタリアが連合国に降伏した後、

ファシストの残党は北部イタリアに集い、イタリア社会共和国を建国する。

政権の権力者である、大統領、大司教、最高判事、公爵の4人

自分たちの快楽を合法化するための市町村条例を制定。

美男美女合わせて18名を拉致し、

秘密の館で私欲の限りを尽くしていくのだった -




サディズムの語源となったとも言われる

フランスの小説家 マルキ・ド・サドによる

露悪的且つ放蕩な描写を多分に含んだ小説

「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」を

ピエル・パオロ・パゾリーニ監督が映画化。

 

極めて公序良俗に反した物語に加え、

性器の露出にスカトロジー、暴力描写の数々

当時上映禁止を決定する国が続出したほど物議を呼んだ一作であり、

未だに映画史に名を残しカルト的な人気誇る映画となっています。

 

まず、本作は物語という物語は存在しておらず、

権力者による市民=美男美女への

執拗な性強要と暴力が描写されていく映画となっております。

レビューするにあたっても不快な表現を使用するのでご了承ください。

 


そのあまりに過激な物語に

「いつか観たい!」と切実に思っていたわけですが、

先日レビューした映画『CLIMAX クライマックス』(2019)

インスパイア元のひとつとして作中にVHSが登場したこともあり、

ついに鑑賞しました。

 

結果から言えば、

「この上なくエグい描写で社会批判を果たす」作品であり、

「エグすぎて社会批判とか感じる余地がない」映画でもありました(笑)

 

 


ピエル・パオロ・パゾリーニ監督作品が初めてだったので、

正直「この監督はなんて変態だ!」と思ったわけですが、

それよりも放蕩な描写に満ちた「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」を

誠実に映像化しながら、

自らの抱く社会への考えや思想をその映像で語った部分

個人的には真っ当さすら感じました。

 

有無を言わせぬ絶対的な主従関係の上で繰り広げられる

性的・暴力的な饗宴そのものはサディズムの語源とも言われている

マルキ・ド・サドの原作のエッセンスであり、

パゾリーニはその原作の時代や設定を改変することで

自らも持つ社会への批判、政治的な思想を込めた

悪趣味極まりなくとも映画ならではのテーマを持たせた作品だと思います。

 

悪臭が漂ってくるような強烈な映像描写による社会風刺や皮肉。

そこに少なからず芸術を感じたことは事実ではありますが...

まず、絶対にオススメはしません。

 


物語はある『権力者』4人=大統領、大司教、最高判事、公爵が

自らの快楽と欲望の限りを尽くすため条例を制定するシーンから始まります。

 

18世紀のスイスが舞台であった原作から

第二次世界大戦下のイタリアに時代を置き換えていることに加え、

財産を有する悪しき人、言わば『富豪』であった4人を

権力者という政治的な背景を強調する設定に改変されているこの映画は

物語が『支配する権力者と支配される個人』のメタファーであることを

明確に定義しているといっても過言ではないでしょう。

 

では、その権力者は何を持って個人を支配するのか?

 

それが多岐にわたる非人道的な暴力行為なわけです。

4人の権力者は美男美女、計18名を拉致し、

秘密の館で自らの欲望を満たす『玩具』にしていくのです。

 

本作は美男美女を拉致監禁するまでの「地獄の門」

性暴力の限りを尽くしていく「変態地獄」

スタトロジーの美学を強要する「糞尿地獄」

無慈悲な殺人好意を楽しむ「血の地獄」の4部構成となっており、

 

毎度、猥褻な体験を話し聞かせる語り婆が登場し、

その話に興奮し、美男美女の身体を用いて快楽を求めていく権力者の行動

といった展開で密室での狂った饗宴が描かれていきます。

 

まずはその強烈な性・暴力描写の数々に嫌悪感必須の作品となっております。

 

殺しをいとわず候補者を集める非道行為に加え

衣服を脱がせ裸体も吟味しながら美男美女を選定するといった

第一章「地獄の門」でも権力者4人の異常な快楽への執着は描かれていくのですが、

 

自ら手を下すにとどまらず、

目下での性行為を強要し、興奮が高まったときに乱入しレイプするといった

第二章「変態地獄」における暴力描写、

 

スカトロジーを満たすため、スカトロジーの美学を共有するため、

美男美女に糞を食すことを強要するのみならず、

美男美女に排便を我慢させ、腐った糞を出させるなどの

極めて露悪的な趣向が露見する第三章「糞尿地獄」、

 

そして、美男美女が舌を切られ、乳首を焼かれ、

目を抉りとられ、頭皮を切り取られるなど

殺人地獄絵図を観戦するがごとく楽しむ第四章「血の地獄」、

 

ととにかくエグい描写が所狭しと詰め込まれております。

映像そのものはさしてグロテスクではないわけですが、

性器をしっかりと映し出す裸体演出が醸す生々しさや、

「シリアス」ではなく権力者視点で「陽気」にも語られていく作風

その絵と雰囲気のミスマッチさ加減が強烈なトラウマを植え付けていきます。

 

そもそも、

ババアの話す露悪的な性体験に興奮した変態爺どもが

権力を行使し、美男美女を使ってその快楽の再現を試みるという、

人を嗜好品の如く扱う様に嫌気は免れません。

 

「権力で支配する側」「権力に支配される側」で形成される

社会に対する批判をパゾリーニ監督は

これらの過激な描写で表現していきます。


 

「人の不幸を完全な安全地帯から一方的に楽しむ」という構造は

リアリティーショーを楽しみ、匿名を盾に叩き、祭り上げる

現代社会への皮肉とも受け取ることができますね。

 


総体的に反共産主義社会に対する批判を述べているわけですが、

今見ると「お前も権力者同等やぞ!」

観客に冷や水をかけてくるくる本作は途中から他人事では見れないものでした。

 

そして、さらに社会を皮肉めいていくのが

集められた美男美女の行動です。

 

もちろん逃げようとして殺されるものもいるわけですが、

多くの人間は絶望的な状況にも拘わらず、『適応しようと試み』

人によってはその中に『希望』『快楽』を見出そうとするわけです。

 

この手の拉致監禁作品であれば、

『何とか抜け出そう』という脱出サスペンスが作品の影の推進力になったり、

「逃げたい」という言動が人間性を醸したりもするわけなのですが、

美男美女のその『願望』は早い段階で描かれることはなくなっていきます。

 


物語序盤こそ美男美女の悲壮感が漂っているわけですが、

物語が進むにつれその悲壮感は薄まっていく印象

まるでこの絶望的な状況を運命の如く受け入れ生活していくわけです。

 

「どんな状況でも適応し生き抜こうとする人の強さ」

としても観ることは可能ですが、

感情がなくなっていくような演出も相まって

「言われるがまま言いなりになっていく人々」

やはり「支配する側」「支配される側」政治構造への

攻撃になっていたかと思います。

 

「感情あった人が権力者によって物に変わっていく恐怖」

この作品で最も恐ろしかったのはその部分にあったかと思います。

 

ちょっと話はずれますが、

「支配される側」「支配する側」の中間に位置する人間が登場するのですが、

彼らの「他人事感」がまた味わい深いです。

個人的には「政治に興味のない人」と言っていいでしょう。

 

「今何が行われており、国はどちらの方向に向かっている」

そんなことに目もくれず音楽をかけ、踊りを楽しむようなラストカットは

これまた印象深いものでした。

 

ただ、何度も言います!

露悪的な物語と強烈な映像に嫌悪感は捨てきれません(笑)

 

あと、最後に言いたいのは、

妙に画が「美しく」もデザインされているという事。

 

シンメトリックにデザインされた映像には

時に絵画のような美しさも感じますし、

規範、規則、条例などといった「統治された世界」を感じさせられました。

 

この上ないディストピアであっても

権力者にとってはすべてが正されたユートピア。

そんなイメージを見ていて感じてしまいました。

 

本当に強烈で、トラウマ作品であることは間違いありません。

ただ強烈な映像を通して語られる

パゾリーニの不変的にも感じる人間社会への皮肉めいたメッセージには

考え深いものがありました。

 

猛毒があるけど確かな旨味を有する果実とでも言えばいいのでしょうか。

非人道的な描写で社会への警鐘を鳴らす作品とでも言えばいいのでしょうか。

 

オススメはしませんが、汚ススメです!