最高のバッドトリップ・ミュージカル映画『CLIMAX クライマックス』(2019)レビュー | SayGo's 映画レビュー

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勝手に映画鑑賞して
ダラダラとレビューします。

本日鑑賞した映画は

合成麻薬 LSDによって錯乱した22人のダンサーが

地獄のようなパーティーを繰り広げていくバッドトリップ映画

「CLIMAX クライマックス」

公開日:2019年11月1日

上映時間:97分

 

1996年。

人里離れた建物に集められたダンサー22人

講演に向けた最終リハーサルを終え、打ち上げパーティーを始める。

しかし、用意されたサングリアには何者かによって

合成麻薬LSDが入れられており、

悪夢のような一夜が幕を開けるのだった。

 



作品が公開されるたび物議を醸す

フランス(アルゼンチン出身)の監督 ギャスパー・ノエの最新作

意図せずLSDを摂取してしまった男女22人が

秘めたる本性と欲求を露わにし、

パーティーが暴力的且つ性的なものへと変貌していく様を

美しくも残酷に、そして露悪的に映し出す。

映画文法をスクラップ&ビルドしていくような

型破りな演出にも注目です。


 

ギャスパー・ノエ作品を最初に見たのは

18歳になってエロ目的で観た「アレックス」(2002)でしたが、

興奮とは真逆の経験をさせられたことを今でも思っています(笑)

 

そんな個人的にトラウマ的な作品を作った

監督 ギャスパー・ノエの最新作は

「密室で意図せず麻薬=LSDを摂取した22人のダンサー」の

「狂乱たるパーティー」の経緯と顛末

美しく残酷に、そして、滑稽に描いていきます。

 


どこかから逃げてきたであろう1人の女性が

真っ白な雪景色を歩いてくる広い俯瞰画で幕を開けるわけですが、

ライムスター宇多丸さんが仰るとおりに

一種の「サバイバル映画」であることを示すことで作品を見やすくし、

また、画面的に「下に降りてくる女性」が

「カメラワークによって動きに反して上に戻されていく」演出

逃れようにも逃れられない惨劇の磁場を描いている。

 


個人的にはそれに加え、

俯瞰の女性が逃げ歩く画が下方にパンして、

正位置の地上の画に繋がるというカット繋ぎで

「天国から地獄に変貌するパーティー」を暗示しているようにも思えたりなど、

とにもかくにもオープニングのワンシーンから

計算のなされている作品であることは明白でした。

 

そして、のっけから衝撃を与えてくるのがその直後に待ち受けるある演出。

本作は全編に渡って映画文法を壊し、再構築するような演出が散りばめられており

そのフレッシュな衝撃と高揚を味わえるだけでも見る価値がある。

 

固定概念を破ることで不気味さを放つのみならず、

結末、映画の締めくくりの切れ味を一つも二つも増させている

このオープニング直後の演出にはクラックラさせられました。

 

そのほか、「印象的な文字使い」や

「そっか映画ここからはじまるのか!」と驚かされるアバンタイトル演出に加え、

天地がまさに逆転するようなクライマックスなど

とにかくバッドトリップと呼ぶにふさわしい映像体験が満載になっています。

 

おそらくここに関しては「字幕」ゆえの楽しみであるでしょうが、

終盤で「字幕」の出し方も「型破り」になる部分は最高でした。

粋な演出だなと。

 

何を言っているのかわからないと思いますが、

一見すればこの感動はわかってもらえるかと思います。

 

その後、1人1人のインタビューが収められた

オーディションテープの羅列で

登場する「22人のダンサー」のキャラクターをで説明していくのですが、

その質疑応答自体が不穏な気配を漂わせると同時に、

後で思い返せな「仕掛け」にもなっているところに驚く。

 

「ダンスに関するもの」はほぼなく、

「対人関係」や「ドラッグ経験の有無」、

はたまた「セクシャルな部分」にまで踏み込んでいく質疑が

質疑応答が繰り広げられていく。

それらの質疑内容の放つ不穏な気配を雰囲気には

とにもかくにも期待を煽られるわけですが、

このオープニングの巧妙なところは

総体的な作品の展開を暗示すると同時に

キャラクター1人1人の顛末=個の物語までも暗示していく部分が面白い。

 

ここに関しては後の

「パーティー歓談タイム」シークエンスとセットとも言えるが、

本作の会話劇はたわいなく装っていても

作品の核をついてくるもの、物語の伏線に溢れている。

ラストカットを解読する話も出てくるので注意して耳を立ててもらいたいです。

 

さらに驚くのは、この会話劇が「ほぼ即興」とのこと。

ホント、リアリティショー「テラスハウス」より良く出来た人間ドラマです。

※「テラスハウス」に本当に台本がなければですがね(笑)


 

正直、詳しくないのでわかりませんが、

映像として上がるダンスシーンも満載です。

約10分間の長回しで繰り広げられる一つ目のダンスは

「キモかっこよく」、その超人たる身体力、肉体美には魅了されました。

そして、クスリ摂取後の二つ目のダンスシーンは、

フリースタイルとでもいうのでしょうか、

「個人技」をフューチャーしていくのですが、

「集団から個」「社会秩序と本能欲求」などといった

「協調心、道徳心を失っていく」という暗示にも見えてくるというね。


 

回り道をしすぎてしまいましたが、物語に入りましょう。

22人のダンサーは最終リハーサルを終え、打ち上げパーティーを始めるわけですが、

用意されたサングリアに合成麻薬=LSDが仕込まれており、

それと知らず口にしてしまった人間がハイになっていき...という展開になっています。

 

まず恐ろしいのは、異変に気付てからの「犯人捜しゲーム」です。

 

「誰がクスリをいれたのか?」

 

22人のダンサーは「飲んでいない者」から特定しようとしていくのですが、

その時点でハイになりつつある人間の正義は

ただの集団による暴力になっており、

なんなら「面白いから俺もやる」というゲーム的な軽さも有しています。

ちょっと「ウィンド・リバー」(2018)の

集団暴行シーンの悪ふざけ感に近いものを連想したりしましたね。

 


その被害者にお腹に子を宿す妊婦を置き、スタッフの幼い息子も被害にあっていくなど

「子供」を用いた露悪さで事の残酷性を強調していきます。

なかなかに精神的に侵食してくる作品でしたね。

 

その事件を気に、22人は道徳性を失っていき、本能をむき出していきます。

序盤の何気ない会話劇が意味を放ちだす地獄展開は本当に巧妙なわけですが、

この作品を「体験型の狂乱」に仕立て上げているのが

ひとシークエンスをリアルタイムに展開していく「ワンカット」です。

 

「最初はこいつを追っていき、次はこいつを追って、その次は...」

と一連のカメラワーク内で追う人間をコロコロと変えながら展開し

状況のみならず、広い密室空間を細かく映し出していきくのですが、

 

そのリアルタイム感が与える「体験的」な作品没入感、

リアルタイムであるからこそ感じられる「絶望から絶望へのシフト」に

映し出される地獄絵図を最大限に味わうことができます。

 

また、このバットトリップシークエンスで痛感したのが

本作は列記とした「ミュージカル作品」でもあるという事です。

 

LSDに錯乱した人間の姿を客観的にのみ映し出していく本作は、

「彼ら取る言動」をロジカルに語ることはありません。

「彼らが何に恐怖しているのか?」「なぜそんな行動をとっているのか?」

を滑稽にも映し出していく本作は、一種のクスリに対する皮肉でもあるのでしょう。

 

そんな観客には「見えぬ幻覚と錯乱」を

役者は肉体的表現を持って語っていってくれます。

動きの一つ一つがダンスとなり、叫びが歌となるとでもいうのでしょう。

 

どうやら主人公以外は本物の実力ダンサーを起用しているらしいです。

彼らの自然体な演技にも驚かされますが、

この肉体表現と即興的アンサンブルには驚かされます。

 

そして、もう取り返しのつかないことになるクライマックスです。

自分はクスリをやったことがないので、わかった気でしかないのですが、

本作の映像はまさに「バッドトリップ」としか言いようがありません。

 

暴力的であり、この上なく性的でもある狂乱を

道徳の欠如を表わさんばかりの天地を定めないカメラワーク、

水平感覚をゆがませる画面構成で演出していくクライマックスには

いい意味でも悪い意味でも酔いに酔いました。

 

ただただ、最高でしたね。

 

そして、ラストカット!

「誰がクスリを入れたのか?」というミステリーの種明かしをしながら

その理由、経緯までは明確にせず不穏さを残す結末。

この絶妙なモヤモヤ、後味の悪さも含め最高でした。

 

「画面左下の本に注目」と

ライムスター宇多丸さんが仰っていたので調べましたが、

なるほどなと!

会話劇の伏線だけでなく、写し脱されるアイテムにまで計算がなされている本作は

ただのヤバい映画ではありません。

本当にヤバい映画でした。

 

好きな人にはドはまり、

嫌いな人には耐えられないエンターテインメント作品。