「サスぺリア」
原題 Suspiria
公開日 2019年1月25日
上映時間 152分
ーーーーあらすじーーーー
1977年。
ベルリンの世界的舞踏団に入団を希望するスージーが現れる。
カリスマ振付師であるブランの目に留まった彼女は入団を許され、
次回公演の主役に抜擢されるほどの才能を開花させていくスージー。
しかし、その周囲ではダンサーの不可解な失踪が相次ぎ、
心療療法士のクレンペラー博士はその真相を追い求め出すのだった。
今だカルト的人気を誇る1977年公開の同名ホラー映画を
「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督がリメイク。
第75回ヴェネツィア国際映画祭で上映され、賛否両論の反響を呼んだ問題作。
★★オリジナル版「サスぺリア」★★
リメイク版となる本作を鑑賞するに当たって
伝説のホラーとも称される1977年のオリジナル版を鑑賞したわけだが、
正直、あまり面白い作品ではなかった。
とは言え、実験的とも思える作風は
公開当時の観客にかなりの衝撃を与えたのであろうということはわかった。
原色、特に赤を全面に押し出した美術セットからは
この作品が「イタリア発のホラー映画」であることを思い知らされ、
絵画のような色彩美がおぞましさとも成り代わる世界観は
カルトの匂いを漂わせ、それが「魔女」というテーマを盛り上げる。
そして、特色となるのが、サーカムサウンドシステム。
公開時、あまり普及していなかった立体音響システムが取り入れられた本作は、
常に観る者の不安を煽る、恐怖に助走をつけるような
耳残りこの上ない劇版と音響がほぼ絶え間なく続けられており、
加えて、排水溝や開閉する自動ドアのアップショットなどを
唐突に差し込み、尖った音を乗せることで
ホラー映画らしいショッキング演出を散りばめていく。
当時はその実験的ともいえる演出が観客を魅了したのだろう。
そして、怖いのは魔女を演じる女優陣の顔面力。
「周りにいたら絶対に関わりたくない」
そんな不信感や恐怖心を確実までに植え付けてくる魔女たちの顔面狂喜。
夢にも出てきてほしくない。
物語に特出した捻りはないものの、
魔女の館の深部に歩み進んでいくようなダンジョン・ミステリーと
そこからの脱出劇にも発展していくクライマックスは面白く、
最後に見せる主人公の笑みにカタルシスを感じる。
そんな「伝説」とも称されるホラーをどうリメイクしたのか?
★★全く別物!リメイクというよりカヴァー★★
そんな「伝説のホラー」のリメイクとして注目度の高い本作だが、
パンフレットであるキャストが言うように「カヴァー」という印象が強い。
なぜならば、「サスペリア」の原型こそあるものの
全くの別物に等しいほどの作品となっていたからだ。
オリジナル版と比べ約1時間近く上映時間が長くなった本作。
名門バレエ校に入学をきっかけに怪奇現象に悩まされるという物語を
受け身なキャラクター性で観客の「器」ともなる主人公の主観的な視点で
「魔女」の存在、そのミステリーを語るオリジナル版は、
一種アトラクション的な作品でもあったように思えるが、
リメイク版である本作は、舞台となる「舞踏団」を
主人公の視点だけでなく、他者や外部からの視点によってアプローチすることで
要するカルト性を高め、その多層性が物語にサスペンス色を付け足す。
「あの場所は何かおかしい」と真相を追求する
心療療法士のクレンペラー博士の視点や、
1977年のドイツのハイジャック事件やテロ行為ら社会情勢から
魔女たちの持つ信仰心・宗教感の比喩表現など
外部の出来事や物語から「魔女」の存在を語り固めていく本作は
複雑なストーリーテリングを見せるが物語に深みをもたらす。
色彩演出も相まってフィクション性の強いオリジナル版と比べ、
外部から魔女の存在を形作っていく本作は絶妙なリアリティも担保しており、
「サスペリア」は見事にモダン・ホラーに進化を遂げられたように思えた。
そして、最も物語が異なるのが
端から舞踏団が魔女の巣窟であると匂わすスタートの切り方だ。
怪奇現象と不穏な教師の行動が結び付き、
バレエ校が魔女の巣窟であることが明かされていく。
そんなようにオリジナル版ではラストで明かされる真相を
この作品はスタートから明かしてもしまいうわけだが、
本作はそこに新しいミステリー要素が緻密に仕込まれている。
少しでも踏み込もうものならネタバレになってしまうところなので避けるが、
一度目は「魔女」に恐怖し、ニ度目は「ある人物」が恐ろしくを思えるだろう。
★★殺される残酷描写から弄ばれる、生かされる残酷描写★★
ホラー映画の醍醐味といえば「殺人」シーンだ。
残酷な描写でショッキングに演出されるオリジナル版の殺人シーンは
かなり印象深いもので、ホラー映画の見せ場を作り上げているわけだが、
このリメイク版である本作には「殺人」シーンがほとんどない。
正確には「殺人シーン」はあるものの、「殺さず」に「生かす」のだ。
これがこの上なく残酷で後を引くものとなっている。
「死」の間近で「生」かしていくような本作は、
「殺人」の残虐性よりも
辛うじて生かされた体の損傷、その腐敗具合の醸す残酷性が強く、
その生々しさにゾッとするような恐怖を覚える。
その「生かす」行為は「殺す」ことを目的とせず
あることを目論む「魔女」のカルト性を高めるものともなっており、
他のホラー作品とは全く異なる恐怖が作品に根を張っていく。
そんな「殺さない」残酷性は、
時に魔女の要するキャラクター性をも語ってもしまうのが印象に深い。
舞踏団に調査に来た男性警官を魔女たちが返り討ちにするシーンがあるのだが、
「殺す」のではなく、魔術で人形のごとく変え、
下半身を露にさせ、陰部を弄び高らかに笑うのだ。
その異様な光景は間違えなく気持ち悪いもので視覚的にゾッとするのだが、
それは魔女たちが「魔女(女性)が支配する女尊男卑な世界」への
この上ない欲求を比喩して描いているようにも思え、
加えて、その「上位を貶す」という構造によって成立されるこのシーンは
今だ男性の方が地位が高いというと思い知らせるものでもあり、
現代社会的なメタファーも存在しているように思える。
また、スタイリッシュでありながらおぞましい
ショッキングなシーンも印象に残る。
主人公スージーのダンスの動きに自らの体が振り回され、
身を捻らせ、体が悲鳴をあげていくというシーンはあまりに新鮮で
このシーンを観れただけでも価値があった。
★★監督の意思が反映されるような美しいダンス芸術★★
この作品の最たる見所といっても過言ではないのがダンスシーンだ。
ダンスが完成されていく過程こそが物語の起承転結ともなり、
クライマックスでは美しさと残酷性が両立されたような
「芸術」といっていいダンスシーンが繰り広げられる。
オリジナル作品では避けられていたダンスシーンが、
確かな技量とカルト匂い漂う衣装とコリアグラフィーで演出された本作は
リメイク版としてスケールアップに成功していると思う。
そんなダンスシーンで注目していただきたいのは
靴を「脱ぎ捨てる」とという描写だ。
主人公スージーがダンスの前に靴を「脱ぐ」ではなく
「脱ぎ捨てる」という行動が印象に残るのだが、
これは監督がオリジナル版の呪縛からの脱却の意思が込められていると思う。
「バレエ」という設定や「貸し借り」で
意図されたのかは不明だが、
オリジナル版では強調もされていた「靴」の存在を
「脱ぎ捨てる」描写は、
「サスペリア」への敬意とそれからの脱却を宣言するような
ルカ・グァダニーノ監督の意思としか思えない。
「型」を重視するような「バレエダンス」から
自由度の高い「コンテンポラリーダンス」調に改編されているのも
その現れのひとつだろう。
本作のダンスシーンは物語を語る見事な役割を果たすだけでなく、
オリジナル版への敬意とその脱却をも感じさせ、
「サスペリア」そのものを再創造した素晴らしいものだった。
★★衝撃の結末!まさにどんでん返し★★
秀でた才能を見せる主人公スージーの姿に、
魔女たちは目前に迫った計画の成就を悟り祝うのだが、
魔女でありカリスマ振付師であり、
スージーと親交を深めだしたブランはなにかを感じとります。
よく食う、良くしゃべる魔女の食卓の中で
なにも食わず、黙って視線を交わし会うスージーとブランの姿は
フード理論による比較から二人の存在をベールに包みだし、
物語になにやら不穏な気配を漂わせ出す。
そして幕を開けるクライマックス...
ここはもう賛否の嵐でしょうが、
様々なシーンに潜む伏線が連なり、
物語内に急に別角度からのミステリーが姿を表す結末に
カタルシス~~~~~~~!!!!!でした。
ホラーとかどこ行ったのかとも思ってしまいましたが、
オリジナル版の「サスペリア」の結末を
さらにエンターテインメントに昇華し、
大きなどんでん返しで作品を締め括ります。
物語冒頭にある次のボスを決める投票シーンの演出に
「なにかあるな」と思っていましたが、ここでこう使うかと!
その後の後日談は作品を「神話」にも「寓話」に落とし込む。
★★総評★★
ストレートなホラー作品であった「サスペリア」を
多層的な物語アプローチと新たなミステリー要素で
「神話」としても「寓話」としても締め括り、再創造したような一作。
オリジナル版とは全く別物であるため賛否は必須だろうが、
これこそ意味のあるリメイクだと思う。
★★★