「新曲発表会的なlive」 | ルーク・フォン・ジェイド
$Sayga-彩雅--メイク


先日は新曲発表会的なプチliveになりました。

すでに次のRECが楽しみです。
バラード曲、スクリーモ曲、C/Wはバラードにするつもりですが、取り急ぎ5月のLive曲作成を急がないといけない状態です。


年末までになんとかアルバム作成。
月間最低1本のliveとやることは盛りだくさんですが、辛さは全然感じませんね。

好きでやっていることですから、辛いと感じる時点で自分に向いていないことをしているということになるのだと思います。

自分は後ろ向きにも前向きにもなれる人間なのですが、やはり最終的には前向きで終わります。
分裂症気味な要素も必要なのかなと思うことも度々あります。

被害妄想というものは、ネガティブそのものに感じますが、裏を返せばそれだけ他人に気を神経を使える力が内在しているということです。

人の顔色や態度でくよくよ考えてしまう。
でもこのくよくよがなければ、人に気なんて使えないし、逆に喜ばせることなんて出来ないのかなとも思います。

プラスに転ばせれば、被害妄想、くよくよ、分裂症気味はある意味、コミュニケーションの達人ですね。

僕はポジティブ馬鹿は正直どうなのかなと思うことがあって、あえて空気を読まないという選択肢もあるとは思うのですが、結局は繊細さにかける、ただそれだけなのだと思います。

くよくよ、いじいじしない人間は人の気持ちがわからない。

ただ、ずっとくよくよ、いじいじしていては何も進まない。

くよくよ、いじいじしない人って成長する機会を逆に失っているようにも思えます。

あそこのフレーズの半音がずれたとか、誰も気にしていないようなところで悶々と悩む人程、実際は向上心に溢れた本当の意味における「ポジティブな人間」なんだと思います。

本当の意味でのプラス思考とは、いったん落ちても最終的にはそこから更なる飛躍につなげられる人間のことを指すのではないかと。

人間なんて、恥かいてなんぼだと思いますし、恥かくのが嫌だから人前で表現する場を避け続ける。

そんなスタンスでは絶対に成長なんて出来ませんし、そんな人が考えている完璧主義程、第三者からみれば実際はどうでもいいものだったりします。

ここ数年間は沢山恥をかきました。

恥をかいたからこそ、大きく成長できたこともあります。

こと、表現の世界においては恥をかく機会がない人は裏を返せば成長速度が遅いとも言えなくもない。

カラオケで下手だから歌わないなんてやってたらいつまでも上手になんてならない。
それに似ているのかも。

失言癖があって、失言して痛い目にあって、修正してととにかく発言する行動する、実践するを避けていては結局は何も変わらない。

恋愛でもそうですよね、相手からこない限りはこちらからアクションを起さない限りは何も変わらない。

もとい、こちらが思いを抱いている事実にすら気がつかない、そんなことが普通にあったりします。

男性の相談の多くってなんだか「恥をかきたくないから、それを避けて上手くやる方法を教えて欲しい」と言っているように思えることが多いです。

どうなんですかね、人生は恥をかいて、失敗してなんぼだと自分は考えていて、取り返しのつかない犯罪以外だったらどんどん恥をかいて、失敗するぐらいでちょうどいような気がします。

ステージ度胸がある人ほど、きっとそんな経験を多くしているのだと思いました。