時が経つ早さと自分の変化に
ジーンとしてました。
ありがたい事に
スピーチをさせてもらいました。
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この島に移住して来年で5年が経ちます。
移住してから事業は瞬く間に大きくなり、
年商は5億円、移住してからは10億円を超えます。
それを壱岐島で使い、
資産も4億円近くあり、その資産は物件です。
その物件でいろんな事業がスタートしたり、
作っている最中のものもあります。
最初は1人で移住しましたが、
今は男嶽神社の宮司と結婚し吉野になりまして、
子供は3人、実家から両親と妹夫婦も
移住してきてくれて9人家族になりました。
私は家族みんなが経営者!というわけではなく、
本当に田舎の青森の農家で生まれたから
こんなに事業が大きくなるだなんて
思ってもなくて。
ただ子供達を見ていて、
子供達が大人になった時に
この島に少しでも人が残っていたらいいなと、
その資産たちを使い壱岐島をPRしています。
移住して一番最初に来たのがこの龍光大神で、
一番最初で出会ったのが有馬さんでした。
今もこうして島内、全国から愛される神社と
出会えたことを幸せに思っています。
まだ38歳で若いから、
まだまだ頑張れよってことだと思うので
これからも頑張ります。
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鳥居の中も外も人が
たくさんいて賑やかでした。
わたしは家族みんなと行きました。
一人一人の眼差しが本当に温かくって
ここの神様、幸せだなぁって
思わずにはいられなかった。
氏子さん代表の有馬さん。
有馬さんも壱岐島に辿り着いた移住者ですが、
なんかもう、凄まじい数字で。
60年経つのだそう。
※80歳超えてるのよ.....
(なんでそんなに若いのかと、
有馬さんが飲んでるサプリを教えてもらい
同じものを飲んでいる。)
移住者にも分け隔てなく優しい。
初めて有馬さんに会ったのは
初めて龍光大神に参拝しに行った時。
私はもう、その時には島に傷ついていて、
不信感丸出しで会話したのが恥ずかしい
有馬さんもこの日のスピーチで
私を紹介するときに
「最初は寂しかったことも
あったと思うけど壱岐で頑張ってる」
と言ってくださり、
それは真実だから、
今、本質的な温度を伴い
本当に温かくなっている私の情景の変化が
しんみりジワジワ来るのです。
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4年前の龍光大神大祭の時の写真↓↓
(この時、寄付していたのでスピーチの運びとなりました)
「私は島に骨を埋めます。そして税金を沢山納める経営者を島外から集めます。お金のこと、経済のことは任せてください、がんばらせてください」
何が嬉しいって、折れることなく、
今も尚同じ志で生きていることです。
ではあと、
5年も20年も50年も
同じ志で生きれます。
吉野さやか