人生で初めて家を買った。

縁もゆかりもない島に移住した。







中身だけリフォームしたけど、

外側がスカスカなのはわかる。



それは、

『中が整ってるので、外はどうでもいいです』

って言ってるような状態。



  ​ファンのおかげで芽生えた意識



ファンが追いかけてきた。

わたしの家の前で写真を撮った。



その写真に写る

自分の家を見て恥ずかしくなったし、

ファンに申し訳なくなった。



隠居して静かに暮らすつもりだった。



でも、せめて、

ファンが来てくれた時に

自慢できるような外観の家にしたかった。



エセだけど、

参拝の真似事ができるように

神社をつくろうと思った。



会えなくてもお土産を買えるように

家の塀をぶち壊してお店をつくろうと思った。






で、家の外観も、

神社もお店も本当につくった。



島外のファンとの交流の場をつくった。





神社なんて完成間近に

本当に神様が入るようになって

ちゃんとした神社ができた。





これ誰がお世話するの?

参拝しか知らなくて、

神様のお世話なんて全くわからなくて白目チーン



  ​結婚で芽生えた意識



神入れの日に

今の旦那さんと出会った。



次の日から交際が始まった。



結婚した。子供が増えた。





神社を見ていたら、

『すべてわたしの代で終わり』

と思っていた、わたしの人生に

『わたしにも後継者できるのかな?』

って思えるようになった。



  ​地元青森の家族のおかげで芽生えた意識


年の離れた妹とその旦那さんが

移住してきた。



わたしが18歳で上京したとき

妹は8歳であまり戯れた記憶がないから

壱岐島で合流できたのは嬉しい。



農家だったから、

わたしの家庭菜園を

事業家できると思って

農園をつくった。






そして、青森の両親が移住してきた。

上京して18年ぶりの合流。



わたしの結婚式と、





妹の結婚式をした。





東北生まれのわたしが

九州で飢えていた胃袋を

母上のご飯が満たしてくれて

父上の陽気さが笑わせてくれた。



そして意外や意外、

父上のコミュニケーション能力が高く

いろんなところでお友達をつくってくる。



いきなり地元のお祭りにも参加した。






  ​島内との交流


農業が形になってきて

出荷も追いつかなくなってくるほど。



メロンとイチゴも成功し、

野菜も増えてきた。





これ、地元の人にも

食べてもらいたいなあと、

農カフェをつくることにした。





わたしの初めての島内事業。



移住して生活と事業が拡がった。



わたしは思い出した。

島に移住した理由を。



生活を豊かにするためだった。



最初は勿論、

自分の生活が豊かになるように

自然いっぱいの島をめがけた。



そこから、

島全体を見るようになった。



この過疎化激しい島を

どうやって繋げていくんだ?

と考えながら

とりあえずできることをしてきた。



歴史を繋げる意識って

今の人脈が自然と拡がる意識かもしれないね。



子孫が未来永劫に

暮らしていける島づくり。



子供たちがいることで、

大人になる頃には

どんなふうになってるんだろう?

と考える。



10年前、

島には5万人いた。



この10年で2.5万人。



じゃああと10年後は、

1万人なのかな。



考えただけで

空き家の数が恐ろしいわ😃



島を養えるくらい

大実業家になっていたいし、

みんなに経営を教えられるくらい

経験をつんでいたいと思って

経営塾をつくった。






島だけじゃない。

全国、田舎で生き抜き、

その土地で地主できるくらいの人を

たくさんつくるのが夢なんだ。



明るくはない未来に対して、

今はまだペエペエのうちに

できる限りの準備はしておく。



人々の生活が豊かでありますように。

豊かに時代を駆け抜けられますように。



誰もが生きることが使命だ。



誰もが特別だから、

その特別な命を全うするために

全力で生きるだけなんだ。



特別な人になろうとしなくても

生まれた時点で特別。



その意識がある人ほど、

ひたすらに生活を大事に生きている。



吉野さやか