私が最近よく考えるのは、「幸せって何だろう」ということ。
語り尽くされたテーマだが、とても難しい。
それは、答えが出ないから…と言うよりも、皆に共通するはっきりとした答えを探す事が難しいからかな…と思う。
『銀河鉄道の夜』では「本当の幸い」という言葉が出てくるけれど、具体的にどのようなものかは語られていなかった。
とても抽象的な答えなら出せるかもしれない。
…例えば、お金や健康の心配がなく、安全で、生理的にも精神的にも満たされた状態…とか?
でもそれは、私が考えたい「幸せ」とはちょっと違うかな?
確かに、そういう状態にあれば幸福感はあるかもしれないけれど、生き方や生き甲斐のようなものまではカバーできていないというか…
私の場合、「今、幸せか?」と問われたら、上の抽象的な定義を当てはめて考えると、幸せなんだろうと思う。
いや、実際幸せだ。
穏やかな家族に囲まれ、とりあえずお金の心配はなく、安全な日本に住み、飢えるということもない。
一応、希望の仕事にも就けている。
しかし、幸せの判断材料はそれだけだろうか?
単にお金があることが幸せとは思わない。
きっと、「精神的にも満たされた状態」という点が重要なのだ。
ここに、生き方や生き甲斐が含まれるのだろう。
そして、その状態が人によって違うから、「幸せ」論は一筋縄ではいかないし、共通の結論を出すことがとても難しくなるのだろう。
私は最近、少し将来の自分の姿を思い描く。
その時どうなっていたら、自分が幸せだと思うのだろう?と。
そのために、今何をすればいいんだろう?と。
今のような状態が幸せなのだろうとは思うが、「ずっと今のままでいいのか?」と問いかける自分もいる。
きっと、「幸せ」とは、年齢によっても変わるものなのだろう。
そいういう意味では、エリクソンの言う発達課題のようなものなのかもしれない。
だから、人は今の幸せに満足せず、さらに幸せを追い求めようとするのかもしれない。
何だかまとまらないが、漠然とそんなことを考えている。
そして、より「幸せ」な状態になろうと日々模索している。
…あまり認めたくはないが、私はきっと承認欲求が強いのだろう。
人から認められることに幸せを感じることが多いように思う。
でも、それは本当に「自分」が望むことなのか?
「誰か」のためにやってはいないだろうか?
最近は、自分にそう問い正し、自分が本当にやりたいと思うことをするようにしている。