毎日ガザでは国際法を無視したパレスチナ住民に対するイスラエルの極悪非道の残虐行為が繰り広げられています。
特に最近は避難所となっている学校への集中的な空爆が行われ日米以外の世界中から非難を浴びています。
イスラエル側は常に「ハマスの」だとか「ハマスが」などと攻撃を正当化しようとしていますが彼らにしてみればパレスチナ人全てがハマスであり、パレスチナ住民を殲滅することに何の躊躇も罪悪感のかけらもなく容赦がありません。
彼らにとってはハマスは人間ではないのだから何をやっても構わないという認識なのです。
この弱者に対する非人道的残虐性はイスラエル特有なものではなく、およそ人類普遍の特質なのかもしれません。
それにブレーキをかけるのは教育と人類の知性と高度な人間性の育み、生命に対する畏怖の念、家庭や周囲の環境ということになるのでしょうけど戦争はそのタガを一気に破壊してしまいます。
アメリカの先住民族やヴェトナム、アフガニスタン、イラクでの非人道的な残虐行為の数々。
歴史的にも大英帝国はアフリカ大陸やインドで、スペインは中南米で同じようなことをやってきたわけで、人類の歴史は殺戮と征服と残虐行為の歴史でもあります。
日本とて決してその例外ではないことは、日中戦争時の日本軍が中国各地で行ってきたことを見ればよくわかります。
そうしてイスラエルが今ガザの市民に対して行っていることと、かつて日本軍が中国の農民や市民に対して行ってきたことがあまりにも似ていることに気が付きます。
イスラエルの行為を批判している人でも日本軍自体が同じようなことをシベリアで中国で東南アジアで行ってきたことを知らない人は案外多いのではないでしょうか。
戦後肉体派作家として文壇にデビューした田村泰次郎が文芸春秋に寄稿した短編の体験話が岩波書店発行 笠原十九司著「日本軍の治安戦」に記載されています。
「老百姓(ラオパイシン)-日本軍にとってこの言葉は、何の人格的な意味もなかった。
彼らは野良犬や、虫けらと、、少しもちがう存在ではなかった。
長い戦争の期間をとおして、日本軍に殺された住民の数は、おそらく日本軍と闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。
中略
ある時期においては、時には、公然と、住民を皆殺しにしろという軍命令が出たこともある。「燼(じん)滅作戦」というのがそれだった。
「おい、こんどの作戦はジンメツだとよ」
作戦開始のときになると、兵隊たちはそんな噂をしあった。作戦地域内の部落という部落は焼き払って、生あるものは犬の子一匹生かしておかないというのが建前だった。日本軍全体が、血に狂った鬼の軍隊になった」
と書かれています。
「ハマス」即ち「老百姓(ラオパイシン)」で、攻撃する兵器や規模は違えどもイスラエルが現在行っていることと日本軍がやっていたことがあまりにも似ていることに驚きます。
というよりも戦争になればこれと全く同じことがいつでもどこでも繰り返されているということなのでしょう。
だからこそどんな平和であれ絶対に戦争だけは避けなければいけません。
鬼畜のようなイスラエル兵も家庭に戻れば良き父であり夫であり兄であり姉なのです。
中国であらゆる残虐なことを行ってきた日本兵も国に帰れば殆どは優しく善良で真面目な農民やサラリーマンでした。
だからこそ終戦後中国での体験を自ら語ろうとする人は少なかった。
一蓮托生呉越同舟、お互い様で告発する人さえいなかった。
殆どの人たちは口をつぐみ、なかったこととし、時が経ち忘れ去られるのをじっと待っていたわけです。
それが戦後の歴史修正主義者達の蔓延る一因ともなっているのでしょう。