狭山与太郎のどですかでん

狭山与太郎のどですかでん

真実のあくなき追究。
全てのマインドコントロールから日本の皆さんを目覚めさせ、解放します

毎日ガザでは国際法を無視したパレスチナ住民に対するイスラエルの極悪非道の残虐行為が繰り広げられています。

特に最近は避難所となっている学校への集中的な空爆が行われ日米以外の世界中から非難を浴びています。

イスラエル側は常に「ハマスの」だとか「ハマスが」などと攻撃を正当化しようとしていますが彼らにしてみればパレスチナ人全てがハマスであり、パレスチナ住民を殲滅することに何の躊躇も罪悪感のかけらもなく容赦がありません。

彼らにとってはハマスは人間ではないのだから何をやっても構わないという認識なのです。

 

この弱者に対する非人道的残虐性はイスラエル特有なものではなく、およそ人類普遍の特質なのかもしれません。

それにブレーキをかけるのは教育と人類の知性と高度な人間性の育み、生命に対する畏怖の念、家庭や周囲の環境ということになるのでしょうけど戦争はそのタガを一気に破壊してしまいます。

アメリカの先住民族やヴェトナム、アフガニスタン、イラクでの非人道的な残虐行為の数々。

歴史的にも大英帝国はアフリカ大陸やインドで、スペインは中南米で同じようなことをやってきたわけで、人類の歴史は殺戮と征服と残虐行為の歴史でもあります。

 

日本とて決してその例外ではないことは、日中戦争時の日本軍が中国各地で行ってきたことを見ればよくわかります。

そうしてイスラエルが今ガザの市民に対して行っていることと、かつて日本軍が中国の農民や市民に対して行ってきたことがあまりにも似ていることに気が付きます。

イスラエルの行為を批判している人でも日本軍自体が同じようなことをシベリアで中国で東南アジアで行ってきたことを知らない人は案外多いのではないでしょうか。

 

戦後肉体派作家として文壇にデビューした田村泰次郎が文芸春秋に寄稿した短編の体験話が岩波書店発行 笠原十九司著「日本軍の治安戦」に記載されています。

「老百姓(ラオパイシン)-日本軍にとってこの言葉は、何の人格的な意味もなかった。

彼らは野良犬や、虫けらと、、少しもちがう存在ではなかった。

長い戦争の期間をとおして、日本軍に殺された住民の数は、おそらく日本軍と闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。

中略

ある時期においては、時には、公然と、住民を皆殺しにしろという軍命令が出たこともある。「燼(じん)滅作戦」というのがそれだった。

「おい、こんどの作戦はジンメツだとよ」

作戦開始のときになると、兵隊たちはそんな噂をしあった。作戦地域内の部落という部落は焼き払って、生あるものは犬の子一匹生かしておかないというのが建前だった。日本軍全体が、血に狂った鬼の軍隊になった

と書かれています。

 

「ハマス」即ち「老百姓(ラオパイシン)」で、攻撃する兵器や規模は違えどもイスラエルが現在行っていることと日本軍がやっていたことがあまりにも似ていることに驚きます。

というよりも戦争になればこれと全く同じことがいつでもどこでも繰り返されているということなのでしょう。

だからこそどんな平和であれ絶対に戦争だけは避けなければいけません。

鬼畜のようなイスラエル兵も家庭に戻れば良き父であり夫であり兄であり姉なのです。

中国であらゆる残虐なことを行ってきた日本兵も国に帰れば殆どは優しく善良で真面目な農民やサラリーマンでした。

だからこそ終戦後中国での体験を自ら語ろうとする人は少なかった。

一蓮托生呉越同舟、お互い様で告発する人さえいなかった。

殆どの人たちは口をつぐみ、なかったこととし、時が経ち忘れ去られるのをじっと待っていたわけです。

それが戦後の歴史修正主義者達の蔓延る一因ともなっているのでしょう。

トランプ暗殺未遂事件が発生してからもうすでに一週間が過ぎました。

落ち目のバイデンに対しますます勢いづくトランプを見てトランプの自作自演じゃないかなどという陰謀論まで出ているようですが、もしそうだとしたら犯人は天才的なスナイパーか、たとえそうだとしてもトランプがこんな危険な賭けに出るわけがないのは子供だってわかるでしょう。

犯人が即座に射殺されてしまった以上、動機や背後関係も含めすべては闇の中となっています。

15日の米ABCニュースは集会で銃撃犯が発砲した建物は、地元警察の戦術チームの中継地として使われていた建物だと報じました。

トランプ集会の銃撃:銃撃犯は警察のステージングビルの屋上にいた (wtae.com)

しかも、容疑者が発砲する20分ほど前に、距離計を使っている不審な人物がいるとして、警察の狙撃手が大統領警護隊(シークレットサービス)に注意を喚起していたことが明らかになっています。

発砲20分前に警護隊が容疑者を認識か トランプ前米大統領銃撃事件 - BBCニュース

犯人が屋根をよじ登る様子が撮影されていたように、集会の参加者の中にも目撃者が複数いて警官に報告していました。

警官が屋根に「跳び上がった」が、犯人は振り返って警官に銃を向けたため警官は慌てて梯子を下りた(転げ落ちた?)とのことですが、彼よりももっと高いところで待機していたシークレットサービスはその顛末の一部始終を見ていながら犯人が発砲するまで狙撃しませんでした。

そもそも彼がそのような場所に容易に侵入することができたということも不可解で、アベ・シンゾー事件と共通するところが多々あり様々な陰謀論が飛び交う要因になっています。

いずれにしても過去の暗殺事件と同じく全ては闇に包まれたまま真実が明らかにされることはなく、結論はケネディー暗殺と同じく単独犯で組織的な背景はないということにされるのでしょう。

アメリカが如何に野蛮で暴力的な国かを今更この場で述べる気にもなりませんが、「邪魔者は消す」という短絡的な思考はアメリカ建国以来の伝統でこれまでも暗殺及び暗殺未遂事件は枚挙にいとまがありません。

そういう国だからこそ、「邪魔者」は国家単位に及び平気で他国に侵略したり、クーデターを起こさせたり、ジェノサイドに手を貸したりするわけです。

このような野蛮な国では要人保護が最重要課題の一つとされるわけですが、その要人保護を担うCIAやFBIやシークレットサービス自体が暗殺者になったり暗殺者と結託したりするのですから「要人」にとっては心休まるときがありません。

 

因みに、アメリカ政府はCIAを使ってキューバのフィデル・カストロの暗殺を頻繁に企てていた事は知らない人でも知っている有名な話です。

米国CIAは、彼を638回以上暗殺しようとしましたがいずれも失敗し、カストロは2016年に90歳で病死しました。

キューバの元諜報機関長官ファビアン・エスカランテは、アメリカの政権別に、ケネディ政権で42回、ジョンソン政権で72回、ニクソン政権で184回、カーター政権で64回、レーガン政権で197回、ブッシュ・シニア政権で16回、クリントン政権で21回暗殺未遂があったと分析しました。

このキューバの反米独裁者を暗殺しようと必死だったのです。

何れも大統領が関与したり承認していたかは不明で、ケネディ政権で42回ということからすればおそらくCIA独自の判断によるものが多いのではないでしょうか。

とにかくアメリカCIAは政府も軍も制御不能な面が多々あり、CIA長官ですら全貌がほとんど把握できていないようです。

さしずめ組織的なゴルゴ13といったところなのでしょうか。

 

カストロはかつて「暗殺未遂を生き延びることがオリンピック種目なら、私は金メダルを獲得するだろう」と言いました。

2000年、カストロはパナマを訪問し演説する予定でしたが、その演壇の下に200ポンド(90kg)の高性能爆薬を置く計画を彼の身辺警護チームがキャッチし未然に防止したのが最後の暗殺未遂と言われています。

ヒトラーも何度も暗殺されそうになりましたが奇跡的に難を逃れていましたっけ。

そう言えばPutinも何度も暗殺されそうになったと自ら述べています。

彼は外国を訪問し晩さん会があっても同行する専任のシェフが料理したもの以外は絶対に口にしないと言われています。

彼の身の周りで不審な死を遂げている人がたくさんいるし、自らも暗殺を命じたりしているのでしょうから警戒するのは当然でしょう。

彼によって暗殺されたと言われている反体制の人たちの中にはPutinの評判を貶めるためにCIAによって暗殺された人も少なからずいるのではないかとも言われています。

そもそも、如何にもロシアがやったと言われそうな「ノビチェク」とか「ポロニウム」をわざわざ敢えてロシアが使うかってことです。

明らかに反ロシア側の仕業と考えてほぼ間違いないでしょう。

なにしろCIAや英国のMI6は謀略や暗殺のプロ。絶対に尻尾を掴まれないというのが鉄則で、活躍の場は海外は勿論、国内でも多くの「暗殺者」や「テロ集団」を育て養っているというのは映画の世界だけではないようです。

先週の日曜日のNHK Eテレ「日曜美術館」は伊藤若冲の幻の傑作「釈迦十六羅漢図屏風」をデジタル復元するまでを追ったお話でした。

「釈迦十六羅漢図屏風」は昭和8年に、ある図録に白黒写真が掲載されて以来行方不明となっています。(空襲で焼失した?)

この図録の不鮮明な白黒写真から若冲の他の作品を参考に書き加えたり色付けし復元しようという気の遠くなるような作業です。

日曜美術館 若冲 よみがえる幻の傑作~12万の升目に込めた祈り~ - NHKプラス

9mm四方の12万個のマス目を、絵画復元の専門家や若冲研究者たちなど約十数名が2年がかりで極彩色のデジタル画像に復元するのですが、まるで複雑で壮大なパズルを解くような大変な作業の様子が紹介され「ご苦労様」としか言いようがありません。

如何に伊藤若冲に思い入れがあったとしてもなかなかできる作業ではありません。

 

 

伊藤若冲と言えば江戸時代、その緻密で色彩豊かでアヴァンギャルドな構図などにより当時大変な人気だったらしいのですが、明治以降洋画でも日本画でもない独特な画風は美術界からは異端扱いされ1968年に美術史家の辻惟雄氏が「美術手帳」で紹介するまで伊藤若冲は日本では殆ど忘れ去られた画家でした。

2000年に京都博物館で大回顧展が開催され人気に火が付き、その後の日本の美術史を書き代え今や日本が世界に誇る画家の一人として知られるまでになりました。

ところで、

明治の文豪 夏目漱石は絵画にも非常に造詣が深いことでも知られています。(私は知りませんでした)

先日たまたま彼の「草枕」を読んでいたら、「房州を館山から向こうへ突き抜けて銚子まで歩き、ある宿屋に泊まった」時のことが書かれていて、

横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目に付く。これは商売柄だけに、部屋にはいった時、既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色のものが多いが、この鶴は世間に気兼ねなしの一筆書きで、一本足ですらりと立ったうえに、卵形の銅がふわっと乗っかっている様子は、甚だ吾意を得て、飄逸の趣は長い嘴のさきまで籠っている。」と記述されていました。

さすがに漱石です。見た瞬間にこれが若冲の絵であることを見抜き、その素晴らしさに感激して逸品と認めています。

恥ずかしながら漱石が若冲のファンであったこと、アートに造詣が深かったことを最近になるまで知りませんでした。

学生時代 漱石の作品は全て読んだ筈なのに・・・

 

今回これを機会にネットで調べてみたらその他にも漱石は若冲の絵を色々な作品に登場させていることが分かりました。

上記の「草枕」の一節も漱石ファンにとっては広く知られているようです。

「一夜」には

「床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の煙りが染み込んで、軸は若冲の蘆雁と見える。雁の数は七十三羽、蘆はもとより数えがたい。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床とこなれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣きがある。「ここにも画が出来る」と柱によれる人が振り向きながら眺める。」

漱石とアート41/伊藤若冲 | 土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ) - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

これ?

 

 

その他にも彼はロンドン留学中に西洋美術に魅了され「坊っちゃん」ではターナーの絵や、「夢十夜」にはブリントン・リヴィエラ―の「ガダラの豚の奇跡」のイメージが出て来るとのことです。(読んだことがあるが全く記憶にございません)

ジョン・ウイリアム・ウォーターハウスは漱石お気に入りの画家の一人だったとこの記事には書かれています。

土井中照氏のブログには漱石のアートに関わる非常に興味深い逸話が多数掲載されています。

漱石が水彩画を描き始めたのは、ロンドンから帰国してしばらくしてからのことでした。漱石は、幼い頃から絵を眺めるのは好きでしたが、実際に絵を描いたことはないようです。子規から送られた絵に対して「拙である」と感想を述べています。

ということで鑑賞眼はかなり優れていたようですが、漱石自身絵を描くことはあまり上手ではなかったようです。

 

漱石の妻・鏡子が『漱石の思い出』に書いている話が大変面白く興味深い。

三十六年の暮れごろからしきりに何かを描いていたようですが、私がいちばん不思議に思うのは絵のことです。

 十一月ごろいちばん頭の悪かった最中、自分で絵の具を買ってまいりまして、しきりに水彩画を描きました。私たちがみても、そのころの絵はすこぶるへたで、何を描いたんだかさっぱりわからないものなどが多かったのですが、それでも数はなかなかどっさりできましたようです。

 

なかなか客観的に漱石の絵を評価していますね。

 

因みに、漱石は自分の著作物の装丁にもこだわったそうで、特に「こころ」の装丁は漱石自らが行ったとのことです。知らんかったぁー

 

 

背景の文字は古代中国周の「石鼓文」を使用しており、岩波書店発行の漱石文集もこの「石鼓文」を装丁に使用しています。

「こころ」の装丁は漱石自ら「石鼓文」を臨書し、伊上凡骨に木版を作ってもらったと言われています。

 

岩波の漱石全集の装丁は「こころ」の装丁に則ったものですが、字そのものに手が加えられており装丁も和紙から布になり俗悪になったと評されています。

167-02.pdf (seijo.ac.jp)

 

若冲も漱石も調べれば調べるほど奥が深く、まさに「底なし沼」という感じです。

先日の東京都知事選で話題になった石丸伸二とかいう人物。

何となく胡散臭い奴だとは思っていましたが、案の定 かなりいかがわしい人物であることが次第に明らかになっています。

SNSを駆使して票を集めたそうですが、選挙が終わってみればそのSNSやらネットでは逆に彼の醜聞が氾濫し、メッキが剥がれ地金まで腐食が進んでいるようです。

SNSは両刃の刃。これに頼りすぎると逆に痛い目に遭うという好例でしょう。

 

そもそも人口わずか約2万6千人の安芸高田市の首長からいきなり東京都知事選に打って出たということも疑問で、その安芸高田市で実績を積み市民の間でそれなりの評価があったのかと言えばそうではなかったらしい。

彼が市長の時には市議会や市民との交流は殆ど無く、実績はと言えば対立と分断を招いたことくらいだと地元では散々の評価のようです。

その証拠に後継候補と目された人物は選挙で大敗しています。

彼は京都大学経済学部に進学、卒業後は三菱東京UFJ銀行に入行、ニューヨーク駐在員も経験し2020年7月に突如、安芸高田市長選に立候補して当選しました。

集英社オンラインによれば「華々しいキャリアの凱旋は地方都市の救世主のように期待されていたが、他者を寄せ付けない攻撃的な一面が次第に表面化し、その摩擦と軋轢で広島の小都市は疲弊した」と書かれています。

地元の議会では議員をアホ呼ばわりしたり、パワハラぶりをいかんなく発揮していたそうですが、根底には幼少の頃から学業成績は優秀で周囲から一目置かれチヤホヤされて育ち、自分はエリートだという思い上がりや上から目線の差別意識がそのまま傲慢な姿勢に現れているのでしょう。

こういう所謂「嫌な奴」はどこにでもいて、地方の首長やら特に東大卒の官僚などに多く見られる現象で決して珍しいことではありません。

要するに日本では、政策とか公約とか人格よりも学歴とか職歴によって投票する人がいかに多いかということです。

選挙とは言っても会ったこともないし判断材料があまりにも少ないですからね。

 

小池百合子も学歴詐称問題がのどに刺さった小骨のように常に付きまとっていて、言わば逃れることのできない「弱み」となっていますが、頑なに「カイロ大学卒業」に固執しているのもそのような背景があるからでしょう。

何しろ「嘘つきはドロボーの始まり」とはよく言ったもので、彼女は素直にそれを実践しているというわけです。

 

石丸候補の街宣演説は毎回15分が基本で、とにかく回数が多いのが特徴だとのことです。

その内容はと言えば、集英社オンラインによれば、

「自己紹介から入り、時折まるで芸能人かミュージシャンかのように右手を高く突き上げて聴衆の歓声を誘い、自分は銀行でアナリストをやっていた、だから経済の専門家である、経済の専門家が都知事になれば東京の経済は活性化する、自分はYouTubeを使って安芸高田市議会への注目を集めた。

だから東京都議会でも同じことをやる、この場に来ている聴衆は皆仲間である、選挙を最後まで楽しみ切ろう」…というのが全てらしい。

いわゆる何ら具体的な政策を訴えるわけでもなく、芸能人かミュージシャンのライヴのように、ただ聴衆を煽るだけで結局安芸高田市時代と同じく何をやりたいんだかさっぱりわからなかったとのことです。

このような手法で何らかの期待感を感じさせ人気を集め票を稼ぐ手法の裏には経験豊富なスタッフが控えていたことを有田芳生氏が指摘しています。

石丸伸二氏は本当に「無所属」だったのか?チラつく旧統一教会の影…「蓮舫帰れ」コール100人集団、八王子の怪 - ページ 3 / 3 - まぐまぐニュース! (mag2.com)

この記事によれば石丸陣営には統一教会系の『世界日報』が主催するYouTube番組の司会者である田村重信氏(元自民党本部職員)「TOKYO自民党政経塾」塾長代行の小田全宏氏がいた。さらには「選挙の神様」とまで呼ばれる藤川晋之助氏が選対事務局長だった。

とのことです。

本来であれば泡沫候補の一人でしかない彼をマスゴミがこぞって話題にして持ち上げた理由もこれで納得できそうです。

要するに、石丸は単に蓮舫つぶしの当て馬に利用されただけで、目的が達成されればあとは用済み。

だからこそ市長選挙時代のポスター代未払い判決が選挙後にいきなり報道されたり、選挙後になって彼の不遜な態度のショート動画がネットで拡散されたり、安芸高田市長時代の実態も徐々に別の形で明らかにされているというわけです。

一番の被害者はこんな奴に騙されて1票を投じた東京都民ということになりますね。

お陰様で小池百合子はまた4年間都知事として君臨できることになりました。

7月14日、住民の避難場所にもなっているガザのUNRWAが運営する小学校をイスラエル軍が空爆し17人が死亡し、80人が負傷しました。

ガザ地区で国連機関運営の学校を空爆 

6月6日にも多数の避難民が身を寄せるガザ中部ヌセイラトの学校をイスラエル軍が空爆し、子供や女性を含む40人が死亡、70人超が負傷しています。

ガザ学校空爆で子供や女性40人が死亡 

 

毎日のように無抵抗の住民に対し、イスラエル軍の残虐な攻撃が続けられていますが、最近ではよっぽどのことが無い限りニュースで伝えられることは少なくなりました。

日本も含め欧米側のニュースの配信元は殆どがユダヤ系であり、ロシアによるウクライナへの攻撃のニュースは詳細に伝えられてもイスラエルのガザでの露骨な生々しい殺戮行為は伝えられることはありません。

 

+972」というインターネットサイトがあります。

イスラエルがガザを攻撃する際にどのようにAIを使って攻撃しているかというイスラエルの情報将校の内部告発を詳細に伝え世界中に波紋を呼びました。

wikipedia によれば+972 Magazineは、2010年8月にテルアビブで4人のイスラエル人作家のグループによって設立された左翼のニュースとオピニオンのオンラインマガジンとのことです。

イスラエル軍の内部告発により、通常のニュースでは知ることのできない生々しい情報を提供しています。

+972は基本的な姿勢としてイスラエルによるパレスチナ領土の占領に反対しています。

イスラエル国内で活動していますが、香港での「りんご日報」の様な弾圧は受けていないようです。

ということはどこかの国と違ってイスラエルにもまだ良心を持った人たちが自国批判活動できる余地があるということなのでしょうか。

で、彼らの最近の記事を読むとガザでのイスラエル軍の腐敗堕落した非人道的な様子がイスラエル軍の内部告発として赤裸々に語られています。

「退屈だから撃つ」:イスラエル軍がガザでのやり放題の暴力を承認 (972mag.com)

ここに書かれているのは戦争とか紛争時の緊張した戦闘状態というよりはストレスを発散させるため、まるで余暇を楽しむかのように無抵抗のガザの市民を殺戮しているイスラエル軍の姿です。

下の写真を見てください。

遠方の破壊されたガザの市街を背景に軍用車の右側に座って後ろを振り返っているイスラエル兵の嬉しそうな表情が全てを物語っています。(拡大写真でないとよくわかりませんが…)

 

 

彼等は退屈を紛らわすためだけに銃を撃っていると内部告発者は言います。

ここには軍としての規律やリーダーシップは存在しません。

とにかく動くものは手あたり次第攻撃するので彼らにとって最も危険な存在はハマスよりもむしろ同じイスラエル軍だというのです。

ですからイスラエル軍の犠牲者の多くは同士討ちによるものだとも言われています。

昨年12月、シュジャイヤでイスラエル兵が白旗を振る人質3人をパレスチナ人だと思って殺害したことが世界中に大きく報じられました。しかし、攻撃した兵士が責任を取らされることも以後の防止策も全く講じられていません。

当然の行為として容認されているのです。

失敗したことはと言えばその事実を隠蔽しきれなかったということだけです。

「病院、診療所、学校、宗教施設、国際機関の建物」での射撃には、一応、より高い許可が必要とされていますが、実際には、「撃つな」と言われたケースは殆どないと証言されています。

とにかくそこにハマスが隠れていたと言えば国際法も戦争犯罪も全く存在しないということなのです。

ハマスのメンバー〇〇人を殺害したという軍の発表も殺害した全ての人を「テロリスト」として数えているに過ぎません。

今やイスラエル軍にとってどれだけ多くの人たちを殺したかだけが昇進の条件となっており、軍同士で「戦果」の取り合いまで起きているというのです。

まるで日本の戦国時代の再現です。

殆どのイスラエル兵にとってはもはやガザでの戦闘?はコンピューターゲームを楽しんでいるのと同じです。

ウクライナ兵とロシア兵が血で血を洗う戦闘を繰り広げているのとは全く違う様相が目に浮かんできます。

ガザに侵攻した兵士たちは、ガザの至る所で、平服を着たパレスチナ人の死体が道路や空き地に散らばったままだったと証言しています。

「辺り一帯は死体だらけだった」と予備役兵のSは証言しています。

先月、ガザでD-9ブルドーザーを操作していた兵士は、 クネセトの委員会で、彼と彼の乗組員は「何百人ものテロリスト?を、葬ることもなく生死を問わず轢き殺した」と証言しました。

 

殺戮された死体が路上に放置されている様子はYouTubeにも投稿されています。(ニュースで伝えられることは絶対にありません)

路上に横たわる数多くの死体はボカシが入っていますが、これらの人たちの一体どれだけが「ハマス」だと言うのでしょうか?

 

 

どんなことをしても罪に問われないとなると人間は好き放題何でもやる動物であるということを思い知らされ、自分が人間であることにすら嫌悪感を抱かざるを得ません。

 

翻って現在の日本の状況を考えると、現在の自民党の姿はこの状況と相通じるものがあるのではないでしょうか。

結局、罪を問われないとなると、自制心や倫理観、人権意識、良心や平和の尊さを失った人間は何でもやるということです。

その行き着く先は戦争や殺人ということなのでしょうか。

夫婦別姓を認めない民法の規定は違憲か合憲かでなかなか決着がつかないさ中、エイプリルフールの4月1日に東北大学高齢経済社会研究センターの吉田浩教授が「2531年には日本人の名字が全部佐藤さんになる」と発表しちょっとした話題になりました。

“500年後には日本人全員が「佐藤」さんになる”というなら。 佐藤姓のライターが、「苗字の多様性を保つため」に提案したいこと(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

現在「佐藤」姓の人は全国で190万人いるとのことです。

全人口の約1.5%です。

これがたった500年で100%になるというのもにわかには信じがたいですが、実はこの裏には重要な値が隠されていてそちらは殆ど話題になっていません。

それは2531年に日本の人口は約28万人に減少しているという試算が前提になっているということです。

全員が佐藤さんになるというよりも実は日本の人口が28万人になることの方がよっぽど現実的で深刻な問題なのであります。

周りは皆同じ名字なんていう限界集落は珍しくもなく人口が少ないほど多様性は失われます。

要するに日本人が絶滅に瀕し、最後に残る名前が「佐藤」さんだというわけです。

「佐藤」さんではなく「鈴木」さんか「斉藤」さんか「田中」さんかもしれません。

住民が一人しかいなければ名前も一つしかないわけですから。

もっとも、2050年までに日本という国は消滅するらしいのでそもそも500年先の日本を論じること自体がナンセンスなことかもしれません。

因みに、遡って1507年はどういう年だったかと言えばwikipediaによれば永正4年(1507年)に室町幕府管領細川政元暗殺されたことを発端とする、管領細川氏細川京兆家)の家督継承をめぐる「永正の錯乱」が起きた年ですからそんなに大昔ではありません。

 

お隣の国韓国では「金」さんが全人口の2割を占め、中国では歴史的に24.000種もの姓が存在したそうですが、中華人民共和国として新生した翌年の1950年、旧国家が国民に課していた抑圧の象徴である夫婦同姓を排除し、選択的夫婦別姓を認めたことにより現在は約6000種に減っているとのことです。

ということは夫婦同姓 別姓は姓の多様性とは関係が無さそうです

日本では現在13万種の姓が登録されているそうで、マイナンバーカード普及の足かせとなっていますが、日本より10倍も人口の多い中国の20倍の名字数と言うのも如何なものでしょうか。

 

ところで

先日昼間にテレビを見ていたら夫婦別姓の推進派と反対派の代表らしき人が出てきてそれぞれの立場で持論を展開していましたが、どう見ても別姓派の言うことの方が筋が通っていて勝負ありという感じでした。

反対派は「兄弟なのに別姓になる場合もある」と主張していますが、何が問題なんですか?って逆に質問されて答えに窮していました。

日本以外の殆どの国が夫婦別姓なのに何も問題が起きていないことに対しても反論ができません。

家族制度が崩壊すると主張しますが、すでに昔の家族制度自体存在しないと言われても返す言葉が無い。

日本以外の国々は夫婦別姓でも何の問題も起きていないし、日本にはすでに別姓の兄弟が同じ家族というケースが存在するのに何も不都合が無いという事実に対し反論することができません。

要するに、反対する理由が極めて主観的復古的妄想的で先に結論ありきで反対のための反対でしかなく、理由らしい理由が無いのです。

どうも彼らのバックには夫婦別姓に反対している「統一協会」やら「日本会議」なるものが控えていて、反対する理由は彼らが主張しているからだと言いたくてもはっきり言えないからなのでしょう。

しかも「選択的夫婦別姓」なのですから別姓にしたい人だけやればいいのであって、そこをあいまいにしてあたかも強制のごとく論理をすり替えて反論している様子にかなり苦しさを感じました。

実際賛成派の人も夫婦別姓を認めても別姓になる人は殆どいないだろうと言っています。

自由に選択できることが重要で、法律でわざわざ規制する必要は全く無いし、自民党がいまだに抵抗勢力となっている限り日本の近代化は望むべくもないと感じました。

 

昨日、夕暮れ時何気なく外を見たら空が真っ赤に染まっていました。

慌ててカメラを持って外に出ましたが時すでに遅くピークは越えシャッターチャンスを逃しました。

その時の写真。全くきれいに映ってませんね。

実際にはもっときれいだった筈なのに・・・・

色々いじくればもっとマシになるかもしれませんがそこまでやる気もありません。

 

 

きれいな夕焼けになれば次の日は晴れなんて昔どこかで聞いたことがありますが今日は朝から雨。

ということは次の日の天気とはあまり関係が無いってことですね。

毎日空を見て過ごしていますが日が沈んだ後にきれいな夕焼けが出るかどうかは全く予測がつきません。

きれいな夕焼けになった時に限ってカメラを持っていなかったり、今日はきれいな夕焼けになるのではないかと背景を考えて待ち構えていても期待外れだったり。

因みに近所に夕焼けの風景を写すには格好の場所があるのですが夕焼けがきれいになりそうな時はアマチュアカメラマンが何人も陣取ってます。

経験的に台風が去った夕方は素晴らしい夕焼けになります。

何故なんでしょうか。

空気中のちりやほこりが一掃されるからなんでしょうか。

台風一過、青空と真っ赤に染まった雲の競演が素晴らしい時があるのですが滅多にお目にかかることはありません。

台風が通り過ぎるのが早くても駄目だし遅くても駄目。

お昼過ぎくらいに台風が去った時が最高です。

というわけで夕焼けがきれいな時って意外に少なく年に10日もないような気がします。

10年以上前になりますが台風一過の写真をNHKの「首都圏ネットワーク」に投稿したら早速放送してもらえましたよ。

この日は他にも夕陽の写真がたくさん投稿されていたようです。

因みに首都圏ネットワークの視聴者からの写真紹介のコーナー

あまりにも応募数が増えたためかいつの間にか無くなってしまいました。

団塊の世代が退職した後の手軽な趣味としてにわかカメラマンが爆発的に増えましたからね。

 

 

夕焼けの雲と青空の対比がとてもきれいなのですが、太陽に近い青空はカメラのDレンジ不足で飛んでしまってます。

これ以後台風一過でもこれほどきれいな夕焼けを見たことはありません。

せいぜいこの程度。

 

 

今年5月23日に台風一過でもないのに空が真っ赤に染まったことがありました。

何故なんでしょう?よくわかりません。

黄砂の影響かもしれませんね。

深く追及したことはありませんが夕焼けは斯様に「気まぐれ」だってことです。

 

 

色々なブロガーのサイトを拝見していると、時々ハッとするような素晴らしい写真に巡り合ったりします。

どんな機材で撮影したのか問い合わせるとスマホとのことです。

最近は皆さんスマホをお持ちだし、スマホのカメラ性能も日進月歩。

昔はスナップ写真程度にしか使えませんでしたが最近は風景写真にも十分使えそうです。

と言いながら私はいまだにスマホなるものを持っていません。

単なる小型携帯カメラとして買うというのもそれなりの価値があるかもしれませんね。

今朝の東京新聞朝刊に「サムスン労組無期限スト」という記事が掲載されていた。

給与アップなどを求め、従業員の4分の1に当たる約3万人が加入しているサムスン電子労働組合のうち6500人がストに突入したのである。

1969年の創業以来初めてのストだという。

しかも3日間だけの予定が無期限ストになってしまった。

 

サムスンと言えば韓国を代表する大企業で、その半導体は世界を席巻しかつて飛ぶ鳥を落とす勢いであったことは誰もが記憶している。

23年12月期決算では売上高が前期比14%減、営業利益は85%もダウンした。

自他ともにライバル視していたソニーグループを遂に下回るほどの業績悪化に苦しんでいる。

特に足を引っ張っているのは屋台骨と言われていた半導体部門の業績不振で昨年12月期は14兆8800億ウォン(1兆7000億円)の赤字で過去最大の赤字となった。

サムスンの2023年度の半導体売上高は前年比37.5%減少した。

生成AIの学習や推論に使用する画像処理半導体〈GPU〉で高いシェアを誇る米NVIDIAやその生産を担っている台湾のTSMCの躍進と対照的である。

この分野での立ち遅れが決定的となったうえ更に、日本の半導体メーカーに代わり30年に亘って首位の座を守ってきた半導体メモリー(DRAM)の不振が追い打ちをかけている。

一方で業界2位の韓国SKハイニックスはいち早く黒字に転換している。

この差はAIブームで需要が急増した広帯域メモリー(HBM)に対する取り組みの差だと言われている。

要するに経営の失敗ということになるが2020年に亡くなった先代の会長時代のモットーである信賞必罰は影を潜め、誰も責任を取らずかつてのサムスンのモーレツ主義は過去のものとなったと指摘されている。

要するに、韓国サムスン電子もかつて世界を制覇した日本の日立 東芝やNEC 松下 シャープ 三洋などのエレクトロニクス産業と同じ道を歩んでいるのだ。

一度負のサイクルに入ってしまうと絶対に抜け出せないのは日本の半導体メーカーのその後を見ればよくわかる。

スマートフォンの分野でも大幅に出荷台数を減らしており、ついに2011年から守ってきた首位の座を米アップルに譲り渡した。

後ろからは中国のメーカーが猛烈な勢いで迫っている。

アフリカなどグローバルサウスへの展開も中国勢の後塵を拝するようになった。

一時盛んにテレビコマーシャルを流していたサムスンのスマホ ギャラクシーのCMもここ数年全く見なくなってしまった。

将来有望なEVカーの分野でも提案できるものは何もないといった有様なのである。

嘗て液晶テレビやスマホ 白物家電などサムスンの急襲によって次々と苦境に陥り買収されたり姿を消した日本の家電メーカー。

今度はそのサムスンが中国のメーカーとアメリカの先端革新技術との板挟みにあって苦悩する姿は日本の家電メーカーとオーバーラップし、「日本病」まで取り込んだと言われている。

日本の家電メーカーを見ての通り、新しい分野を自ら開拓し活路を見出さない限り生き残る道はないのではないだろうか。

 

現在熊本に台湾TSMCが進出し日本政府は4760億円もの補助をし、新工場を建設中で九州は投資ブームに沸き、まるでゴールドラッシュみたいな状況となっているそうだ。

日本の半導体産業が復活したなんてトンチンカンなことを言う人もいるようだがあくまでもTSMCは台湾の会社である。

嘗て日本が絶頂期の頃シンガポールや台湾やタイやマレーシアに多くの企業が進出し工場を作った。

その逆のことが現在日本で起こっている。

要するに安いコストと安い労働力と間抜けでピントが狂った日本政府の補助金を当てにしているだけなのである。

決して喜べるようなことでも誇れるようなことでもない。

今回の都知事選で注目を浴びたのは元安芸高田市長石丸伸二とかいう人物。

意外にも蓮舫よりも得票を伸ばし結果的には次点でした。

彼は蓮舫が立候補を表明するずっと前から出馬表明していましたから蓮舫つぶしとは考えにくい。

しかし、必ず小池の対抗馬が出てくることは必然なので当然小池反対票の食い合いになるであろうことは十分承知の上での立候補。

元々当選するなんて考えていないだろうから次のステップに向けての売名立候補でしょう。

彼は政党の支援は受けずSNS動画などで主張を拡散し若者らの支持を得たそうなんだけど何となく胡散臭さが漂ってます。

その理由の一つがこれ

石丸伸二氏の敗訴確定 安芸高田市長選ポスター巡り、支払い命令 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

安芸高田市長選の選挙ポスターやビラ製作を請け負った印刷会社が、石丸氏に未払い分約73万円の支払いを求めた訴訟の上告審で、最高裁は5日付で石丸氏の上告を退ける決定を出し全額の支払いを石丸氏に命じました。

都知事選挙前に判決が出ていたのにマスゴミは報じませんでした。

気を回したんでしょうか?

そう言えば沖縄の米軍による婦女暴行の事実を県議選への影響を配慮してケーサツが隠蔽していたのに似てますね。

しかも、「印刷頼んだ中本本店に自分の妹が勤めてて、妹の紹介で特急注文受けさせた上でゴネてんのかよ。妹さんの立場ないやんけ。コイツどんな神経しとんねん。

(2) WhiteMetal on X: "

なんて投稿まであります。

 

7日に配信された日本テレビの「東京都知事選挙2024 開票速報 ──(日テレNEWSLIVE)」の中継が大炎上したなんてことも伝えられています。

日テレ都知事選中継が大炎上! 古市憲寿氏が石丸伸二氏とのやり取り酷評されSNSでヤリ玉に|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

この記事によれば

出口調査したところどうやら石丸さんが2位らしい。嬉しかったですか?」と問う古市氏。石丸氏は「勝ち負けなどという候補者目線の小さな話をしていないんですね」と返して不穏なムードに。その後、古市氏は「まだ都知事選の開票が続いている中で国政で広島1区から出馬する可能性に言及されたのは、結局都知事選はただの踏み台だったのかな、売名行為だったのかと思ったのですが、この点についてはどうですか」と問うと、石丸氏は「下衆の勘繰りでしかない。聞かれたので可能性を言及しただけ。意思はないとも言っている。文脈を把握しているか」と反論。その後も討論が嚙み合わず時間切れに……。

全く礼儀とか常識とかが欠如している古市も古市なら石丸も石丸。

どっちもどっちって感じですね。

しかも現在の政党政治を批判しているらしい石丸は維新の怪に支援依頼していたというのですから時間が経つにつれメッキが剥がれっぱなしのようです。

「石丸伸二氏から支援依頼あった」 維新幹部が明かす 都知事選巡り | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 

ウソツキはドロボーの始まり

ウソツキは政治屋の始まり

何れは国政に出るつもりなのでしょう。

本音を衝かれて頭にきた様子がうかがえます。

結局行きつく先は「賛成党」ってとこ?  知らんけど。

 

ところで都知事選が終わるのを待っていたかのように 自民党派閥の政治資金パーティー券をめぐる裏金事件で、東京地検特捜部は8日、政治資金規正法違反の容疑で刑事告発されていた国会議員、元議員ら16人を含む42人を不起訴処分にしたと発表しました。

裏金事件で岸田首相ら42人を不起訴処分 SNS怒り「法治国家ならぬ放置国家」「納得すると?」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

ウソツキとドロボーが国を支配し、その嘘つきやドロボーを国民が支持する国では検察も単なる「添え物」にすぎません。

彼らはウソツキやドロボーたちの番犬でしかなく正義も道義も存在しません。

彼らの役目はウソツキやドロボーたちに盾突く奴らを弾圧排除すること。

 

一方、敗退した蓮舫は案の定猛烈なバッシングを受けてるようですね。

都知事選敗北の蓮舫氏が苦しい胸中を吐露 「水に落ちた犬は打て」とばかり叩くテレビ報道の醜悪|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

 

蓮舫は敢えて立民から支援を受けず無党派でと言いながら選挙カーの上は立民や共産のお歴々が占拠していてこれじゃあと思いましたが案の定予想通りの展開となりました。

特に野田なんかに登場させたんじゃあ票が逃げていくのはあたり前です。

野田は立民にとっては疫病神だってこと知らない筈はないと思うのだけど・・・。

先日のバイデンとトランプのテレビ討論会以来海外ニュースは認知症バイデン大統領への大統領選からの撤退圧力が強まっている様子を盛んに報じています。

その折も折、バイデン大統領は 7月4日、フィラデルフィアの WURD ラジオのインタビューで「自分が黒人女性であることを誇りに思う」と述べた事がまたまた話題を呼んでいます。

バイデンは不条理な舌を滑らせた - RIAノーボスチ、05.07.2024

 

 

このインタビューでバイデンは

「さっきも言ったように、私は第一副大統領であり、黒人大統領と並んで務めた初の黒人女性であることを誇りに思う」と支離滅裂なことを語りました。

文脈から推理するとバイデンは、「アフリカ系アメリカ人のバラク・オバマ政権中に副大統領を務め、自分が大統領になったとき、黒人のカマラ・ハリスをこのポストに任命したことを誇りに思う」と言いたかったのでしょうがうまく文章がまとまらず自分が初の黒人女性大統領になったと言ってしまったようなのです。

頭に浮かぶことが文脈に関係なく次々と言葉に出てしまう認知症特有の症状のようですが、これを伝えているのがロシアのサイトだけと言うのも意味深です。

 

バイデンは就任前からすでに認知症の疑いがあることは各方面から指摘されており、このブログでも何度かその症状を紹介しています。

最初は彼特有のジョークだなんて弁護する人もいたようですがここまで認知症が進むともう誰もかばってくれる人はいません。

 

彼が高齢で認知症のため「次期大統領候補」として不適であるという世論がアメリカではにわかに盛り上がっていますが、その一方で、この人物が今まさに世界を支配するアメリカ帝国の大統領だという事実についてはほとんど注目が集まっていません。

彼が既に大統領で、あと半年大統領であり続けその間 核のボタンを肌身離さず携帯しているという事実についてアメリカだけではなく世界中の人たちは特に気にかけていないようです。

ある日誰かにそそのかされて突然核のボタンを押さないとも限らないのに。

ということは既に人々は実際にアメリカを支配しているのはアメリカ大統領ではないということを知っているのです。

バイデンが突然発狂して核のボタンを押そうとしても、選挙で選ばれない支配者がそれを認めなければ彼は押すことができないことを世界中の人たちが知っているからこそバイデンがあと半年大統領でいることに誰も危機感を感じていないのです。

 

トランプが大統領になろうがバイデンが大統領になろうが、バイデンの代役が大統領になろうが選挙結果などどうでも良く、相変わらず戦争は続き経済的不公正も権威主義の高まりも寡頭政治と腐敗も環境破壊的な資本主義や帝国主義の搾取は続くだろうとオーストラリアのメルボルンを拠点とするジャーナリスト ケイトリン・ジョンストンは言います。

要するにアメリカ大統領選挙はオリンピックと同じ4年に一度の壮大なる「お祭り」で誰が大統領になっても基本的には何も変わりません。

アメリカの大統領も日本の首相も所詮はパペット。

ただ、操る人たちが違うというだけなのでしょう。