私は15年間専業主婦でした。
子どもが生まれてからは家事と育児が中心の生活。
本来働くことは好きだったため外に出て働きたいと思ったことは何度もありましたが
子どものが小さいうちは今しか出来ないことを精いっぱいやろうと決め、母として、妻としての
役目を私なりに頑張ってきました。
【育児編】
専業主婦のいいところはなんといっても子どもの成長を常に見られること。
もちろん大変なことはたくさんありましたが、子どもは本当に可愛く、日々の変化は
感動の連続でした。
小さなまっさらな心で感じ、すくすくと育っていく愛らしい姿に幸せを感じる日々でした。
なにより驚いたのは子どもはこんなにもお母さんのことが大好きだということ。
自分のことをこんなにも愛してくれる存在がいるのか、こんなにもストレートに愛情表現をしてくれるのかとただただ驚きでした。
とにかく無我夢中で子育てをしました。
初めての子なので気合も入っていました。もともと加減がわからずやりすぎてしまうので
もう全力で子育てしていましたよ。子どもにいいことはすべてやる!!くらいの勢い。
といっても今から思えば偏った子育てをしていたんですね。
のびのびと感情豊かな子に育ってほしいと思い、子どもが望むことを好きなだけさせて
あげよう。そこからたくさんの感性を育てよう・・・と思ってました。
それがのちのち自分の首を絞めることになるとは知らず・・・
そこからいい母モード全開です。
泣けば抱っこやおっぱい、抱き癖がつくから抱っこはだめだなんて親の世代の古い考え。
むしろ赤ちゃんの情緒にいいから赤ちゃんが満足するまで抱っこ。目を見て常に優しく話しかける。ケータイいじりながら授乳はしない。
生後4か月からは読み聞かせ。バシバシ本をたたかれ、ソッポ向かれても、意味はわからなくても毛穴からお母さんの声の響きやぬくもりを感じるはず・・・
ハイハイできるようになったら家の中は赤ちゃんにとって興味しんしん。キッチンの扉を全部開けて乾物やらいろんなものを全部出す。あらあら・・・いろんな発見があって楽しいんだろうな出したものを片付け、そのルーティーンを1日3回。毎日。
散歩は雨の日も欠かさない。よちよち歩けるようになったら5分の道のりも草木や季節の風を感じながら1時間かけて歩く・・・・思い出の1ページ。あわよくばファンタジー。
外気に当てて丈夫な体を作りたい。のびのびと野原を駆け回らせてあげたい。
毎日合計5時間は外にいる生活。自然を感じてほしい。
合間にお昼を食べに帰ってくる。昼間っからダシから取ったお味噌汁を作り魚を焼く。
手作りで体にいいものを食べさせる私はいいお母さん。
お昼寝している間になるべく家事を済ませる。
公園では自分から同じ小さなお子さんを持つママに話しかけ友達作り。周りの人を大切にする優しい子に育ってほしい。お友達と仲良く遊んで楽しい思い出をたくさん作ってほしい。積極的な明るい子に育ってほしい。まずは私がお手本にならないと!
仲良くなった友達を家に招いて手作りお菓子でホームパーティ
準備で大変だったけど、おまけに後片付けも大変だったけど、何ならこの後夕飯の支度やら洗濯物たたみやら、家事がめっちゃ滞ってやること山ほど溜まっているけど、今日は楽しかったよありがとうメール送るの面倒くさいけど・・・・・これから寝かしつけ絵本何冊も読むのしんどいけど・・・・でも今日はみんなが楽しそうでよかった・・・娘も喜んでくれたよね・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
って疲れるわ!!!!
いや、マジ上記↑普通にやってたから。おかしいとも思わず。むしろ自分は子どものことを考えるいいお母さんとさえ思って自分に酔いしれてました。
でもこれ第一子限定。まだ二十代だったし気力も体力も十分あったので。
これが下の息子になるとね・・・上の子の30%くらいしかできませんでした
もう物理的に無理。
しかも長女は魔の2歳児で人見知りも激しく片時も私から離れないの。常に半径60センチにいたのではないかな。いや、大げさではなくこれ本当です。公園でもほかの子は自由に走り回っているのに娘はずっと私のそばにいるのよ・・・あれだけ公園に連れて行ったのにまったく意味がなかった・・・
下の子を妊娠中、夜中にトイレに数回行くんだけど、その時もレーダーがついているのかってくらい起きてきて一緒にトイレについてくるんだから!!毎回!!しかも毎日!!!
私が子どもを満たしすぎた誤った子育てをしてきたおかげで、娘は私に依存し要求するのが当たり前になってしまったのです。
そして下の息子が生後半年になったある日、持病の腰椎分離症が悪化し家の中で倒れてしまいました。激痛で1センチも体を動かせない!!おまけに息子はまだ寝返りもうてない。ピーンチ!!ちょうどお昼時でまだご飯の支度もできていませんでした。
日頃お世話になっている近所の年配の知り合いの方に電話をし、おにぎりを作ってきてもらい娘に食べさせてもらいました。本当にこのご婦人には感謝しています。
知り合いの同年代のママ友には恥ずかしくて頼めなかったんです。家の中はぐちゃぐちゃだったし、ほぼすっぴんだし、それにうわべだけの付き合いだったんですよね。自分のいい姿しか見せていなかったから。
当時私は転勤族で自然豊かな栃木県に住んでいました。
今回はただごとではないと思い東京に住む母親に電話をして来てもらうよう頼みました。
急な呼び出しで、しかも東京から離れた栃木に来てもらうのは気が引けましたが、これはもう
子どもたちの面倒をみれないことがわかり、母に何時間かかってもかまわないから来てと頼みました。私からは母にあまり頼みごとをしたことがないので最終手段でした。
え?その前に夫がいるだろ、って?
夫の勤め先の営業所は隣の市でした。車で20~30分くらい。
今すぐ来てっていえば来てくれたことでしょう。でも私はなぜか頼めなかったんです。
というより夫に頼るという考えが浮かばなかった。いや、夫の仕事の邪魔をしてはいけないと思っていました。出来る限り迷惑をかけないようと無意識に思っていました。
でも確かしばらくたってからしょうがなく電話して平静を装って状況を説明したと思います。
今こんな状況だからお母さんに頼んできてもらうことにした、大丈夫だから、と。
大丈夫じゃないのに。だから夫はまさかこんな大変な状況だとは思わなかったのです。
家では幼子が2人ギャーギャー泣いてるんですよ。私も泣きたい。泣いてたかな?
うん、今から考えれば完全におかしいですよね。でもね、私は本当に人に頼るということができなかったんです。親にも、夫にも。そういうことは弱いことでダメなことだと思っていました。
いつも自分で抱えて自分で密かに解決して何事もなく平静を装うクセが小さいころからしみついていたのです。
日も暮れたころ母が到着しました。
その間私は子どもたちを不安にさせないよう明るく話しかけたり体を動かせないもののどうにか赤ちゃんの息子を寝かしつけたりなんとかそこまでもたせました。
だけど1つだけ待ったなしのものが!!!
トイレに行きたーい!!!!(小)
まず激痛で体を動かせないのでましてや立てない。体が脱力して重く、女性では持ち上げられない。仕方なく母に尿瓶を買ってきてもらいました。
いざTRY(恥)
がしかし、で、出ない我慢しすぎた上に倒れた状態で尿瓶をあててするというのがとんでもなく難しかった!!
倒れてから半日以上経過。さすがに私もいろんな意味で限界。
そこで初めて、夫にヘルプを出しました。
トイレに行けなくて困ってるからお願い、早く帰ってきて!!
夫はわかったといい電話を切りました。
待てど暮らせどなかなか帰ってこない。もう一度電話する。
「あ~今ドラッグストアにいるんだけど。なにか買ってく?」
ブチッ
「早く帰ってこいって言ってんだろー!!!!!!」
大声で泣きながら怒鳴りました。
私がこんなに苦しんでいるのに。大変な思いをしているのに。
わかってくれないなんて。
夫はただ事じゃないとその時初めてわかり慌てて帰ってきました。
そして私はわんわん泣きながら抱きかかえられて無事にトイレに行けたのでした。
とまあ、タイトルからずいぶんと内容がそれてしまいましたが、私は本音を抑え、感情を抑えていました。そして必要なことは言葉に出さず、察してよという甘えでキレる始末。
なんとも迷惑なヤツですね
でも自分ではちっともそんなことに気づいていませんでした。
私は大変ななか頑張っていると思ってました。体を壊すくらい頑張っていると。
それからほどなくして鬱病になり、心療内科に通うことになり抗うつ剤を飲む生活になるのでした・・・
この時は本当に辛かった。それなのに、またお得意の本音隠し。夫にはこのことをずっと言えずにいました。迷惑をかけてはいけない。我慢をすればいつか乗り越えられる。成長できる。私は母親だから。強くなくちゃ。一家の太陽だから・・・
なんて美化をしてさらに本音を押し込め普段通りの生活を心がけました。
だから夫は全く気付いていませんでした。数年前にこのことを話して初めて知ったのです。
間違った努力?ですね。
書いてて疲れる
これらはほんの育児初期時代の一端です。
フラクタル心理学ではすべてのものごとにいいも悪いもなく「量」の問題といいます。
一見いいこともやりすぎると悪い結果を生む。
少量のワサビはおいしいけど大量のワサビは体に悪い。
やりすぎた時に心身の不調に出たり、あとは周りの近しい家族や友人が反対意見を
言ってくるようになります。それが止め時の合図です。ある意味当たり前ですね。
でもね、若いとつい突っ走ってやりすぎてしまうのよね。
まだまだ、もっと頑張れば結果が出るはず、ってね。
そして子どもを満たさなくてはと思うのは、自分の中のこども心が自分を満たしてほしかった
と今でも思い怒っているから。それをしないと責められると思っているから。
だからつい子どもを満たす子育てをしてしまった。
本当はだめなものはダメ、泣いてギャーギャー言われてもしっかり泣かせて
そのあとにどうしてだめなのか、どうするのがいいのかをしっかり子どもに教え躾ける。
そんな毅然とした子育てをしたら、私ももっと楽にのびのびと子育てができたでしょう。
娘もしっかりと自立心が育ったことでしょう。
早く知りたかったな
でもやってきた過去は決して無駄にはならない。
身についたこともたくさんある。たくさん武器を手に入れた。
それを未来に生かしていけばいい。
私は再び社会に出て働いている。
それらの経験は、今、ちゃんと役に立っている。
失敗したことをブラッシュアップしたらすごい武器になった。
おかげさまで職場でお褒めの言葉をいただけるようになった。
どんな過去も宝にしていけるよ