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神棚にある七福神
昔、祖父が棚から下ろして、
「中のお金をあげるよ」
と言ってその時初めてこれが貯金箱であることを知った。
私は昔からこの貯金箱が好きだった。
今は私の家にある振り子時計は、かつて祖母の家にあった。先日壊れた振り子時計が修理から戻ってきたのである。
昨日はその振り子時計を祖母に見せた。ゼンマイを手渡すと、回すのよねと仕草をした。覚えているようである。
祖父と、祖母が毎日生活をともにした時計、祖母の家で聞く振り子の音はなんとも言えない心地の良い音に聞こえた。
祖母の庭からの眺めである。目の前が山で、山のふもとは川が流れている。山までの距離200メートル。
もうすぐ祖母はこの家を離れる。祖母には話してもすぐ忘れてしまうからまだ知らない。いつもデイサービスに行ったり、ショートステイを利用して家を離れることは珍しくない。
でも次は帰ってこないと思う。祖母の施設が決まったのだ。
そして父もいつしか祖母の同居が介護と変わり、長い介護をを終え自宅に帰る。
この家は誰もいなくなる。
私たちが帰る時、祖母は玄関まで来て見送ってくれた。
「また遊びに来てね」
と言って手を振りながらとっても寂しそうに。祖母はその時孫の私だとわかっていような気がした。
多分もう祖母がいる
「おばあちゃんの家」
は今日が最後なのだと思うと、寂しくて、悲しくて、急に胸が熱くなった。卒業式3回分くらいの切なさが押し寄せてきた。
これからもこんな寂しさを何度も経験すると思う。過去を思って愛おしくて、寂しくて、悲しくて。
振り返るとその大切さに気づく。手の届かないものだからこそ欲しくなるのかもしれない。
私には今という日常がある。数十年後、今の日常の事を思って切なくて、悲しくて、寂しく思う時がくるのなら、今この手の中にある時間、1日、1日、今を大切にしたいと思った。
体が衰え、記憶が衰え、老いを迎える。少しづつ準備して、時を静かに過ごすのだ。
すぐに忘れてしまうことは、心穏やかになるために必要なことかもしれない。
どうかおばあちゃんが新しい環境に混乱せず、こころ穏やかに過ごせますように。
また会いに行きます。