令和5年 本年も宜しくお願い申し上げます晴れ

 

 

この冬は朝がとにかく寒い辛いぃぃ~~~~無気力

 

もう寒くて寒くて、地図見ながら

「ここは緯度的に東京よりも絶対に暖かいはず」

と移住計画を妄想し始める始末。

出来たら3月まで炬燵か低温サウナの中に入ったまま過ごしたい凝視

 

それでも、年神様をお迎えする準備とか正月の行事の諸々疎かに出来ない性分で、防寒しまくって氏神詣でと先祖へのご挨拶(墓参り)は無事達成ニコニコ

 

 

日本人の信仰心が一年のうちで最も篤くなるお正月日本

国民の一大宗教イベント初詣神社

 

町中に日の丸日本がはためきお祝いムードが高まる季節。

 

今年最初の記事としてやはり神道系の神様神社の事を書きたくなりPCに向かってます。

 

 

例年、地元の氏神様に詣でた後は、近郊にいくつかある崇敬神社さんを詣でるのが恒例。

でも、何せ冬は寒いゲホゲホので、崇敬神社詣では後回しにしがちで、暖かくなってから巡る感じ。

 

毎年行くのは

地元の大国主命= 大己貴命 (大黒さん)氏神詣で

江の島の江島神社の宗像三女神

上野の弁天様と天神様

品川の蛇窪神社の天照大御神と弁天様

やはりご品川の荏原神社(高龗神)

 

天照大御神は祖父の先祖代々の信仰ラブ

子である父には全く刺さらなかったらしく、父は亀とクジラを愛するアロハな人やしの木になりましたが、孫のワユキには刺さりまくったアマテラス恋の矢

 

太陽晴れを毎日称えたいので、家では伊勢から頂いたお札貼って手を合わせてますお願い

その他は、宗像三女神や弁才天、龍神、菅原道真公(天神)の神社さん。

 

女神好きもずっと変わらず、ヒンドゥーでもラクシュミー女神とドゥルガー女神、サラスヴァティ女神の三女神を長くお慕いしているので、イメージ湧きやすいし、齎すとされる御利益も自分の生活周りに合っている感じ。

 

 

数年に一回の神社さんだと、

伊勢神宮の天照大御神晴れ

(日本のスーリヤでありヴィシュヌでありウシャス)

そして、同じく伊勢の猿田彦神

(聖天さんと並ぶ日本のガネーシャ)

奈良の大神神社(事代主)

出雲の複数の神社(出雲族を祀る)

福岡の宗像大社(三女神)

 

これらは遠方なので、旅がてら数年に一回程度。

共通点があって、実は全て縄文系=古代出雲系の神様を祀っている場所で、ここでも以前かなりの頻度で記事にしていた大元出版さんの出雲伝承に出てくる神々を祀っています。

 

 

どの神社さんにも思い入れあるのですが、今回書きたいのはい猿田彦神ゾウについて。

 

↑直近だと2020年に参拝 コロナ騒動が始まる直前

 

この猿田彦という名前、実はサルタというインド由来の言葉から来ている、と聞いたらどう思いますか?

 

インドは多様な民族で構成されているけど、古代はドラヴィダ人という現在南インド方面に多く住む先住民がインド全域に住んでいたといわれています。

そのドラヴィタの人たちの間では「サルタ」という言葉は「先の尖ったもの」という意で使われ、象ゾウを示す言葉としても使われていたのだそう。

 

草食であの体の大きさ!!

おまけに象はめっちゃ賢い動物でもあり、人間の信仰の対象になるのは自然な事のように思えます。

 

象信仰といえばヒンドゥーではガネーシャ、日本でも聖天信仰として絶える事無く現在まで脈々と受け継がれています。

 

 

そのインドから日本に移住してきた古代ドラヴィタの人達が、自分たちの信仰である、太陽信仰、蛇を祀る子宝信仰、家内安全や旅の安全の守り神としてのサイノカミ信仰(夫婦像とその子サルタヒコへの信仰、一説にはシヴァファミリーを模したとも)を持ちこみ広げた、と出雲伝承では伝えているそう。

 

大元出版という出版社から出ている本は、その出雲族の末裔とされる方が家に伝わる数々の伝承を証拠と共に伝え続けており、ワユキもほぼ全部を読んでいます。

 

それらには、古代出雲族(古代インドからの移民)が日本でサイノカミ信仰を広め、中国や韓国から移り住んできた人たちと争いながら混血し、その移民たちの信仰と混ざり合った経緯を詳細に伝えています。

 

 

 

 

猿田彦は現在は道開きの神という「出世」だったり先を見通す「投資」等のご利益を齎すとされています。

 

でも、そのルーツは日本中あちこちで見かけるお地蔵様のような像であるサイノカミ=道祖神であり、サルタを模した人形であり、一説では天狗のモデルともされ、もっとルーツを辿るとインドの象信仰(ガネーシャ)に繋がっているとしています。

 

現在の道祖伸(サイノカミ)は、道の脇や交差点に人々の旅の安全を願って建っている事が多いようです。

天狗も今でもあちらこちらで信仰され祀られていますし、インドの象信仰はガネーシャ信仰として、玄関や入り口に飾られる事が多く、災いが家に入るのを防ぎ幸福を齎すとされています。

 

神社

 

 

さて、出雲伝承と違い、覇権を握った権力者が作らせた記紀(古事記日本書紀)には、サルタヒコはニニギノミコトが九州から奈良へ移動する際の道案内をし、その道中でアメノウズメと対すると記されています。

この記紀により、サルタヒコとアメノウズメを夫婦神としているものもよく見かけます。

 

実際、猿田彦を祀る神社では 天宇受賣も一緒に祀っている神社が多いです。

 

 

でも、大元出版さんの出雲伝承だと、ニニギとアメノウズメは九州地方から奈良に向かった豪族(神武東征)であり、そのヤマト征服を正当化する為に、サルタヒコ=サイノカミというヤマトを統治していた出雲族の信仰対象に道案内をさせた話を神話に入れたのだとしています。

 

ヤマト征服後、アメノウズメは既に奈良の地で巫女として存在していたヤマト系の巫女の後釜に収まり、人々の信仰を集め二代目姫巫女(ヒミコ)として近隣国でも有名になっていったのだそう。

 

伊勢の佐瑠女神社=アメノウズメ神社 猿田彦神社の中にあります。

 天の岩戸伝説から芸能の神とされ多くの芸能人の信仰を集めています。

 出雲の伝承によるとアメノウズメは九州から奈良に来た姫巫女。

 

そのニニギやアメノウズメらが九州で信仰し、ヤマト(奈良)の地で伝え広めていたのが月読ノ神お月様

奈良の地で、太陽信仰民族と月信仰民族が出会い、戦いに敗れた太陽信仰はヤマトの巫女と共に伊勢の地に逃れます。

 

↑伊勢の月読宮

 

しかし、後にアメノウズメは同族達によりヤマトの地を追われ、各地を転々としたのだそう。

最期を過ごしたのが、三重県鈴鹿の椿大神社。

そう、サルタヒコを祀る神社です。

「アメノウズメがサルタヒコと結婚した」との伝承は巫女であり月読の神を広めたアメノウズメが、同族に裏切られ、最後に縋ったのが太陽信仰の出雲族の神であるサルタヒコ神を祀る椿大神社だった為に、そういう話にしたのかもしれません。

なんとも皮肉な話。

九州出身の姫巫女が政争に巻き込まれた哀しい物語笑い泣き

かなり若くして亡くなったそうです。

 

 

月読み信仰を持ってきた九州の豪族がヤマト(奈良)を征服し太陽信仰を持つ出雲族と混ざった事で、現在の伊勢にも繋がる太陽と月の信仰、天照信仰と月読信仰が同じように広がってゆき日本で活発になっていったと伝えています。

 

今の日本は、縄文から続く太陽信仰と弥生時代に入ってきた月読み信仰が共存し、人々を見守っていますニコニコ

 

 

令和5年

現代の日本では、ワユキのような太陽晴れを拝みヒンドゥーの女神を拝む人、月お月様の満ち欠けに願う人(月読)、星流れ星に祈る人、鳥居の先の鏡に祈る人、仏像を拝む人、十字架に祈る人、メッカの方向に平伏す人、これら以外の信仰を持つ人、一切を拒む人、多様な人々がいます。

 

そのどれもを否定せずに、自分の心の向きのままに、ただ善良でいたい ブッダ という願いを胸に、カルマヨーガで利他的な思考を意識しながら今年も地味に地道に頑張りたいな照れ

 

 

やっぱり新年は伊勢に行きたくなる。

でも、寒い~~~~~笑い泣き

 

夏に出雲とセットで行こうかなぁ~~~~~神社

 

 

*この記事は大元出版の出雲伝承を元に書いており、自分の解釈で想像を膨らませている部分もあります。

「史実と違う」というご意見ご鞭撻は、どうかご容赦下さいm(__)m

 

ブッダ