人と人との関わり方は、いろいろあると思って、
と、その人は言った。
別に24時間、向き合っている必要はなくて、
たとえば、1ヶ月に1度、行く飲み屋の向こう側に座ってる人がいたとして、
別に、その人と自分は言葉を交わすわけじゃないけど、
何かを一緒にするわけでもないけど、
ただそこにいるっていう、
そういう関わり方ってのも、
あると思うんだ、 あなたは違うんだと思うけど。
それはわりと、そのときの私に「必要な言葉」だった。
あぁ、 と私は思った。
別にそれに対して異論を唱えるつもりは本当に全くなかったし、
多分、そういう考え方があるということ、それ自体は理解できたはずだと思う。
それもそうだな、 ってのが近い。
私の価値観は、でも結局、相手任せだ。
つまりは相手の哲学とうまくやっていけるか、ってことだ。
あれ。
でも、「無理が生じる」場合があるってことは、
私にも譲れない価値観があるってことだよね。
何だろう?
とりあえず、その解釈は、私にとって多分結構キライなものではなくて。
わりと思い出す。
ていう、メモ。
それは新しい考え方で、すごく面白かったのです。