『十八史略で読む史記』(渡邉義浩著/朝倉書店)を読む
背水の陣
Backwater formation
秦滅亡後、自ら西楚の覇王を名乗った項羽は、圧倒的な軍事力を背景に、項羽に味方した諸侯を対象として、大規模な封建を行う。
その際、項羽は、関中に一番乗りした劉邦に関中を与えず、辺境の漢中を与えたが、安全策とならなかった。西楚の覇王項羽と漢王劉邦が、中国の覇権をかけて激突する。これが、楚漢戦争。
劉邦の別動隊、韓信の軍は、劉邦に離反する勢力の討伐を行う。まず魏を降し、次に代を降し、趙を攻めるに至った。戦力は、韓信軍3万に対して、趙軍20万人。川を背にした韓信軍本隊は、攻めかかった趙軍全軍に死に物狂いで応戦。その間に韓信軍別働隊が趙軍の城を占拠。これで、趙軍は、韓信軍に挟撃された形となり、浮足立って大敗北を喫する(両軍の死傷者数不明)。かくして、韓信軍は、趙を降した。
水泳 2020.8/9(日) 目標3周 仙台到達
【累計1,246.8キロ今日の距離4.2キロ 計1,251.0キロ】
仙台1237.7km⇒盛岡1429.2km