『書道技法講座17 高野切第一種』(伝・紀貫之 西谷卯木編/二玄社)より選句、習字
寛平のおほむと支の支さいの宮能う多あ者せのうた みなもとのまさ須み
や万可勢尓とくるこほ利能ひまごと尓うちつるなみやはるの者な
紀友則
者なの可遠か世の多よ利尓多ぐへ弖曾うぐひ春佐所ふしるべ尓はやる
寛平の御時きさいの宮の歌合せの歌
源当純
谷風にとくる氷のひまごとにうち出づる浪や春の初花
紀友則
花の香を風のたよりにたぐへてぞ 鶯さそふしるべには遣やる
谷風にとける氷の隙間ごとに現われる浪こそ春の初花
花の香りを風の使者に連れ添わせ、鶯誘う道案内役として送る
ウイキペディアによれば、寛平御時后宮歌合は、寛平初年(889年)頃、宇多天皇の母后班子女王の邸で催されたとある。ニッポニカによれば、藤原興風(おきかぜ)、紀友則、紀貫之、在原棟梁(むねやな)、源宗于(むねゆき)、藤原敏行、壬生忠岑、素性、大江千里、凡河内躬恒、在原元方(もとかた)、伊勢、坂上是則、文屋朝康(あさやす)などが集まっている。この会は、歌合行事はなく、撰歌合(せんかあわせ)であったといわれる。