今年の正月には、異例で衝撃的な出来事が起きた。
1月3日に米軍がベネズエラのマドゥロ大統領を拘束し、米国の拘置所に収容した。
マドゥロ大統領は米国への麻薬密輸への関与など4つの罪に問われている。
同大統領は5日、ニューヨークの連邦地裁に出廷し、無実を主張し、自分は今も大統領で米政府に拉致されたと述べた。
★ ★ ★
「現職の大統領を他国が軍事力で拉致・起訴することは明確な主権侵害である」という批判に対するトランプ政権の反論は次のようなものだ。
それは「これ(Absolute Resolve絶対的決意という作戦)は、軍事侵攻ではなく、法執行~つまりマドゥロ大統領を大統領ではなく、米国に麻薬を流し込んでいる麻薬テロ組織のトップとして位置づけ、起訴された逃亡者の逮捕~の延長である」という主張だ。
この法律論争がどうなるのか、私にはわからないし、それほど興味はない。
興味があるのは、この作戦が戦略目的つまり「ベネズエラに民主的で(さらにアメリカ目線では、親米的な)政権を樹立し、同国に安定をもたらし、麻薬の取り締まりができるような体制を作る」ことができるかどうかという点だ。
アメリカのこの作戦の良し悪しの評価は、法律論争で決まるものではない。結果で決まるのである。
マキャベリは「結果がりっぱであれば、そのために犯した罪は許される」と述べている。
またビスマルクは岩倉使節団に次のようなアドバイスをしたという話を聞いたことがある。
「いわゆる公法(国際公法、万国公法)というのは、各国の権利を保全する不変の道とはいうものの、大国が国益を争う場合、自国に利益があれば公法に固執するが、いったん不利となれば、一転武力を持って戦争を起こす。だから、公法は常に守らねばならぬものではない」
ビスマルクがこう述べたのは150年前の話だが、昨今の大国の動きを見ていると、大国の論理は変わっていないような気がする。