ごきげんよう!さわこです



「創造の記念としての安息日の重要さは、我々がなぜ神を礼拝すべきであるかという真の理由を常に考えさせるところにある。」

すなわち、神は創造主であって、我々は神に造られたものだからである。

「それゆえに、安息日は、礼拝の根底そのものである。というのは、安息日が、他のどんな制度よりも、最も感銘深い方法で、この大真理を教えているからである。七日目における礼拝だけでなく、すべての礼拝の真の根拠は、創造主と造られたものとの区別にある。この大事実は、決して廃することのできるものではなく、また決して忘れてはならないものである。」

神がエデンで安息日を制定されたのは、この真理を常に人々の心に留めておくためであった。

そして神が我々の創造主であるという事実が、神を礼拝する理由として存続する限り、安息日はそのしるし、また記念として、存続するのである。

安息日がすべての人に守られ、人間の思いと愛情が、崇敬と礼拝の対象としての創造主に向けられていたならば、偶像礼拝者や無神論者や不信者は決して出て来なかったことであろう。

安息日を守ることは、「天と地と海と水の源とを造られた」真の神に対する忠誠のしるしである。

それゆえに、神を礼拝し神の戒めを守ることを命じるメッセージは、特に第四条の戒めを守るように人々に呼びかけるのである。

「各時代の大争闘 第25章」より

マラナ・タ

聖書の十戒とローマカトリックの十戒

比べてみてください。