ごきげんよう!さわこです

 

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ある日、小学生お子さんのお母さんから質問されました。

「『ユダヤ人とイスラエル人はどう違うの?』って子供にきかれたけれど、どう説明したらいいのか分からなくなっちゃって」

 

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こんな風に説明したけれど・・・・以下

 

紀元前722年に、北イスラル王国はアッシリア帝国に滅ぼされて、世界に散っていました。

北イスラエルは滅亡してしまいました。歴史から消えたのです。

 

南ユダ王国は、BC586年にバビロンに滅ぼされて、捕囚されて行きました。

バビロン帝国を滅ぼしたメディアとペルシャの連合国の時代になって、BC457年にエルサレム再建命令が出て、ユダの国に帰還しました。

 

ユダの国は、ペルシャの後、ギリシアに支配されて、次はローマ帝国に支配されました。

ずっと属国、植民地状態でした。

 

ローマの時代にはローマの支配のもと、自治州という感じ。

支配されている国に税金を納めるという状態になっていました。

 

ユダヤ人たちは、神様への不信仰と背きの結果、バビロンに捕囚されたのだと深く反省。

エルサレム帰還したころからユダヤ民族との意識をもって生活するようになったのでしょうね。

 

 

パウロはユダヤ人です。

バビロンに捕囚された経験から、神様に忠実に従うことに熱心になったユダヤ人たちは、「律法主義」に陥ってしまって、聖書の神、ヤハウェを信じることは、ことこまかな戒律を守ることと思い込むようになったんですね。

 

十戒の解説書としての613からなるモーセの律法を神経質に守ろうと人たちが、ファリサイ派と呼ばれる人たちね。

ファリサイ派のユダヤ人たちもメシアの到来を持ち望んでいたけれど、イエスがメシアだとは信じなかった。

 

パウロも初めはイエスをメシアとは信じていなくて、信じている人々を迫害していたのね。

イエス様の十字架の後も、信じない人はいました。

 

使徒言行録は、信じる人がどんどん増えて行く記録です。

 

イエス様を信じる人が増えて行く中で、キリスト教が成立していったけれども、ユダの地は、ローマに支配されたままでした。

 

ユダヤ人は独立しようとして、ローマと戦争をして、135年にはローマから追放されてしまい、全世界に散って行きました。

 

その後、1948年のイスラエル建国によって、世界中からユダヤ人たちは帰ってきました。

ユダヤ民族は2000年ぶりに独立を取り戻したのです。そして今に至っています。

 

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マラナ・タ

こうした流れについて、たまたま勉強していたばかりのタイミングでした。

年代なども調べていたから、何とか説明できました。

もっと簡単に聞きたかったのかもしれませんが、

短く話せない私でした。