ごきげんよう!さわこです

 

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祈りが答えられることを望むなら、

先ず父なる神様との個人的な関係を

深めることから始めましょう。

 

神様があなたを愛していること、

また憐れみに満ちていて、どんな時でも

あなたを助けたいと願っていることを、

しっかり心に留めましょう。

 

そして、イエスを知り、

イエスとの深い繋がりを築いてください

イエスはあなたの友達です。

あなたのために、命さえも惜しまず捧げてくれました。

 

また、聖霊と親しくなってください。

聖霊は、1番身近な助け手として、

いつもあなたとともにいてくれるのです。

だから、どんな時にも、聖霊に助けてもらいましょう。

 

私たちの祈りを、神のことばであふれさせましょう。

 

詩編9:10

虐げられている人に、主が砦となってくださるように。

苦難の時の砦の塔となってくださるように。

 

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私たちは、自分を変えたいと思っても、変わらなくてはならないと分かっていても、なぜか変えられないのでしょうか?

サタンが私たちの思考に戦いを仕掛けているからなのです。

私たちは悪魔そのものと戦っているのです。

 

ですから、私たちの武器は、人間に由来する知識や思想や、工夫と言った人間に由来する(肉のもの)では、太刀打ちできないのです。

一時的には成功するかに思えるかもしれません。

しかし、それは、一時的な痛み止めやカットバンのような効果しかありません。

 

私たちの武器は、肉のものではなく、霊的なものでなければならないのです。

イエスさまも荒野でサタンの誘惑に遭われた時には、「・・・と書いてある」と御言葉でサタンに対抗しました。

 

神の言葉は、「聖書」に書かれています。

神の言葉は「礼拝」で語られます。

書籍や、CD、DVD、セミナーなどを通して語られます。

 

しかし、ただ、聞くだけ、受け取るだけでは十分とは言えません。

聖霊の導きの中で、自分にとっての真理となるまで、神の言葉にとどまり続けなければなりません。

継続することが重要なのです。

 

イエスさまは「聞く耳のある者は聞きなさい」「何を聞いているかに注意しなさい」「あなたがたは、自分の量る秤で量り与えられ、さらにたくさん与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる」(マルコ4:23,24)とおっしゃいました。

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優しいイエス様ですが、本物のやさしさは、厳しく真理を語ります。

イエスさまは

「あなたがたが、耳に聞く真理に対してどれだけ考え学んだかによって、あなたの元に返って来る徳や知識の量が決まるのです」

と語っておられるのです。

 

神の言葉の武器を絶えず使い続けることが重要なのです。

 

神の言葉以外にも武器があります。

讃美と祈りです。

口先だけの讃美でなく、心の底からささげる本物の賛美です。

 

讃美と祈りには「神の言葉」が伴います。

 

祈りとは、天のお父様である神さまとのコミュニケーションです。

神さまに助けを求めに行き、自分が困っていることについて神様とお話することです。

神様との交流をいつも持つようにするのです。

 

        以上    ジョイス・マイヤー「思考という名の戦場」より)

 

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この事を、祈ることができないと言う人にお勧めしました。

そしたら、それができないから苦しいのだと言いました。

自分に代わってあなたが祈ってくださいと頼まれました。

 

執り成しの祈りは勿論させて頂きますが、あなたの方も神様との交わりを続けてくださいとお願いしました。

 

「それができないから、頼むんです」と言われました。

 

そこまで、追い詰められて行き詰っている者たちがいるのです。

 

「ああ、神様憐れんでください」と祈りました。

 

御霊自らがうめきをもって執り成してくださる、という御言葉が思い出されました。

 

ローマ8:26,27

「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださるからです。」

「人の心を見抜く方は、“霊”も思いがなんであるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」

 

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深い苦しみがあまりにも長く続くと、心は疲弊してしまいます。

そのような人が多くいるのです。

どうぞ、その方の心が神様に向かいますように。

イエス様に助けを求めますように。

その方の呻きを祈りと見なして差し上げてください。

神様の御約束を信じて何年も祈ってきました。

これからも祈ります。

イエス様は決して見放したりはなさらないと信じています。

 

マラナ・タ

私の祈りは弱いです。

しかし、イエス様の御名によって祈るならその祈りは強くなります。

決してあきらめることなく祈ります。