ごきげんよう!さわこです
聖書の民ユダヤ民族
聖書の御言葉には、真理がある。
神の知恵がある。力がある。
しかし、それは、神に従順であればこそ。
神との契約を守ればこそ。
 
真実なる神様を世に伝えるために選び出された召し出されたイスラエル・ユダヤの民が、不信に陥り、神から離れて、アッシリア帝国やバビロニア帝国に国を奪われて、民は捕囚となって行った。
 
北イスラエルは紀元前722年に滅び去り、民は離散して行った。失われた十部族である。
 
南ユダは紀元前586年にバビロンに連れ去られ70年の捕囚後に、エルサレムに帰還しました。
 
ユダヤの民は、バビロン捕囚に至った原因をよく理解し、反省していましたから、神様に忠実であろうと熱心になったのでした。
 
帰還できてからも、ダビデ・ソロモン王の時代のように独立した国家には容易には戻れない。
 
ペルシャ、ギリシア、ローマ帝国の属国として、宗教こそユダヤ教を守ることはできても、植民地的状態からは逃れることはできませんでした。
 
ダビデ王国の建設ふたたびの思いでメシアをも待ち望みつつ、かつての失敗は繰り返さないとの思いで頑なに外面的従順になって、信仰は形骸化してしまっていたのでした。
 
イエス様が生まれお育ちになった時代がそうでした。

 

 

2022.3.20の「今日の光」には,以下のように書かれています。

 
律法学者やファリサイ派の多くは、バビロン追放の原因となった同じ罪に国が陥らないようにと必死になるあまり、逆に規則や儀式、規制にこだわるようになっていたのです。
しかしながら、それはなお、プライドと自己満足の罪でした。
ローマ人の異教をはっきりと否定していましたが、純粋であろうとするあまり、皮肉にも自分たちの本当の姿が見えなくなっていたのです。
 
マラナ・タ
真実の神に従おうとして、本質を見落としてしまったユダヤの民
霊的イスラエルを自認するキリスト教会・キリスト者たち
ほんとに神の愛の精神で御言葉に忠実だろうか?