ごきげんよう!さわこです

 

 

ヨハネによる福音書16.33
新共同訳
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得る為である。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。
 
口語訳によれば
平和が平安
苦難が悩み
 
訳の違いから感じ取ることは、
口語訳では個人の上に起きる状態。
新共同訳では、共同体全部の上に起きる状態。
 
言い変えるなら、人の日常生活に悩みがあると心から平安が無くなる。
共同体(国家・民族)に苦難(戦争や紛争)が起きると平和が無くなる。

 

 

これらのこととは、どんなこと?
ヨハネ12章12節に戻ると、リビングバイブルの小見出し「エルサレムでの最後の宣教」とあって、ここにどうやら「これらのこと」がまとめられて書いてあるらしい。
過越の祭りに集まって来た人たちに向いて、この祭りに象徴されている真意を語っているのではないか?

 

 

さらに遡れば、エデンの園で人類の父祖が神に背いた(罪)ために、神様との関係性は遮断される事によって起きるさまざまな悩みや苦難を通して、その原因である「罪の問題」を解決するために、神ご自身(御子イエスとして)が、地上に来られてなされた宣教活動のすべて(イエス様のご生涯)を指しているのであると分かる。

 

 

私たち人類すべての抱えている悩み苦難は、人間力だけではどうにもならない。
神の神・王の王・主の主・勝利の主である三位一体の神であるお方、私たちの創造主でありながら贖い主しか、解決することができない。
そのお方こそが、キリスト・イエスである事を受け入れて信じよ、と。

 

 

神がこれらの苦難の根っこを解決してくださるのですから。
 
「確かにこの世では苦難との悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさいよわたしはすでに世に勝ったのです」(リビングバイブル訳)。
 
昨日から暗誦し続け味わい続けているこの聖句を文章にしてみました。

 

 

マラナ・タ
二日がかりのデボーション。
私にとってデボーションは三位一体の聖書の神様との深い交わりの時。
その日その日を生きる力。
悩みの淵から私を引き出してくださる力強いイエスの御手。