ごきげんよう!さわこです
 
聖書の歴史観の基本的三つの視点
希望への光 4ページ
福音社元編集長 廣田實先生
からの抜粋です。

 

 

1、人間は神の意志を無視することができないのであり、
   神の意志への服従が幸いを、不服従が禍を
   もたらすものであることは当然のことである。
 
  しかし、同時に過ちを犯しやすい人間には対して、
   神へ立ち戻る道が備えられている。
   それが悔い改めの道である。
 
  たとえ、どんな悪を行なったとしても、
   悔い改めて神のもとに戻り、
   神との正しい関係を回復するならば、
   神は豊かな恩恵を惜しまれることはない。
 
2、歴史は無目的に堂々巡りを繰り返すものではなく、
   目的を目指して一直線に進むものである。
 
 歴史に目的を与えるのは神である。
 神は人間の歴史を通して至高の目的を
 達成することを企図しておられる。
 
 その目的には神の正義と愛が人間の歴史において
 実現されるということである。
 
 聖書は歴史の究極の目的は、 
  神と人とが共に住む罪も嘆きもない
  神の国の実現であることを示している。
  歴史上のあらゆる事象は、
  この神の計画の実現のために働いている。
 
3、歴史における善悪の構想の本質は
  神に対する本源的な抗争に由来する。
  神に対立するするものは
  『虚偽の父』と呼ばれるもので、
  あらゆる奸計を用いて
  正義を破壊し、愛を歪曲させている存在者である。
 
  歴史は、神の正義と悪魔の虚偽が、
  人間の意志を舞台にして、
  激しく抗争する場にほかならない。
 
  この抗争の戦場にあって、
  人間は神につくか『虚偽の父』につくかを
  決断しなければならない。
 
誰一人傍観者ではあることはできないのである。
神の正義の意志を自分の意志として、
歴史の究極の目的である神の国の実現のために
献身することが、神に歴史に参与することである。