ごきげんよう!さわこです。
葉の落ちてしまった楓(ふう)の木
名残惜しげに、紅をとどめて。
あまりにも私たちは、訴えられる者である自分自身のことを考え、私たちのために執り成してくださる「弁護者」がおられ、「審判者」は私たちの天の「父」であることを忘れてしまいます。
ローマ8.34
誰が私たちを罪に定めるのか、
キリスト・イエスは、死んで、否、
よみがって、神の右の座し、
また、
私たちのために執り成してくださるのである.
私たちの義は、キリストの義によって確立され、私たちの救いの保証は、私たち自身ではなく、キリストの功績に基づいています。
神は、あらゆる訴えに対して私たちを擁護してくださいます。
自分の中に「肉」なる部分がとどまっていると気付く時があります。
するとそれに気がとられて、キリスト様が天の法廷で、私を弁護してくださっていることを忘れさせようと企むサタンに誘惑されているのかもしれません。
マラナ・タ
ローマ書8:25がわたしを抱きしめてくれました。