ごきげんよう!さわこです。

昨日の夕日の輝きは、何度見ても、見続けていたい。

今朝、友から届いたある信仰者のメッセージ

シェアしていいですよって言ってもらいました。

 

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しばらくの間、この2種類の人々は離れていた。

カインの子孫は最初住みついた所から広がっていって、

セツの子孫が住んでいた平原や谷間にまでちらばってきた。

 

そして、後者は、彼らの悪影響を避けて山にのがれ、そこに住んだ。

こうして離れているかぎり、彼らは神の礼拝の純粋性を保っていた。

しかし、時の経過と共に彼らは徐々に谷間の住民と交わるようになった。

この交際は最悪の結果をもたらした。、、

 

神の礼拝者の多くは、常にさらされている誘惑に負けて罪に陥り、彼ら独特の清い性質を失ってしまった。

彼らは堕落した者と交わって、精神においても行為においても似てきた。

彼らは、戒めの第7条の拘束を無視し、「自分の好む者を妻にめとった」(同6:2)。

 

セツの子孫は、「カインの道」に歩み、世俗の繁栄と快楽に没頭し、主の戒めをないがしろにした(ユダ11)。

人々は「神を認めることを正しい」とせず「その思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなった」。

 

(人類のあけぼの・セツとエノクの時代)より引用

 

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ただの興味心から、色々と体験してみないと気が済まないという性格の持ち主は要注意だ。

失敗しながら学べば良いという考えはあるが、それは前向きなことに当てはめるべきであって、もともと神様がNGと言うものに当てはめてはいけない。

 

それは、悪いと知っていながら楽しそうだから少し試してみよう、という滅びとのダンスになり、時に一発アウトで致命的だ。

多くの場合様々な問題は、罪深い環境を避けていれば防げることがほとんどだ。

 

サタンの誘惑しやすい場所に近づかないこと、何かのきっかけでそのような所に迷い込んだら、真っ先に逃げること、それが肝心だ。

 

テロや犯罪に巻き込まれてしまい、そこから生還する人達の共通の特徴がある。

その方々はその場から一目散に、脇目もふれず、振り返りもせず、猛ダッシュで逃げた人達だ。

 

神様が私を用い証を立てるべき場所からは、イエス様に助けを請い願、祈りつつ、逃げてはならない。

 

しかし、サタンの誘惑からは一目散に逃げて距離を置かなければならない。

 

週末には神様の祝福した第七日安息日に、その安全地帯に憩いたい。