ごきげんよう!さわこです

今年最後の安息日の空

 

 

キリストだけが救い主である。
しかし、救われても、戦いから逃れたわけではない。
まだ続けなければならない戦いがある。
第一コリント9:26,27
にはその人の状態が書かれている。
 
「だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」
 
すなわち、クリスチャンが戦う対戦相手というのは、自分の身体、情欲が残ったままの肉なのである。

 

 

クリスチャンは、
その身体を服従させた状態を保ち、自分を支配して、
肉の力と罪の法則から救ってくれた神の御霊の力によって、
身体を支配下に置かなければいけない。
 
人が救われるのは、
肉にある全ての悪しき傾向と情欲を制圧し、
支配する力を受けることによって救われるのである。

 

 

品性は、誘惑のある戦場で力を受け、
全ての誘惑を打ち負かすことによって築かれるのである。
 
人間が全ての誘惑から救われ、
誘惑のない領域に連れて行かれるならば、
キリストはこの世に来られる必要などなかった。

 

 

そのような救い方では、
人間は品性を築くことは決してできなかったであろう。
 
キリストは、人を誘惑のない領域に移し、
彼らを弱々しく大した品性もない状態にしてしまうような方法で
救おう時なさる代わりに、
 
自ら人間と同じ立場を取られ、あらゆる誘惑のど真ん中に立たれた。
 
そうして世の全ての人に勝利をもたらされた。
キリストので御名を讃えよう!
 
「無敵の信仰」227-230頁より
 

 

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マラナ・タ
 
委ねる信仰、任せる信仰、恵みによる救い。
間違いのない信仰による義のメッセージである。
だからと言って、安価な救いに貶めてはならない。
 
キリストが立たせてくださる。
自己に闘う力を十字架のキリストは与えてくださる。