ごきげんよう!さわこです

信仰の友から届いた古屋良子さんのメッセージをシェアします。

 

 

 
悲しみは二種類あります。
神の御心に適った悲しみと世の悲しみです。
 
世の悲しみは、自暴自棄になったり、
他人に責任転嫁したりという形で現れ、
傷つき、多くの不幸と悲しみをもたらし、
出口のない悲しみへと導きます。
 
そこには何の希望もなく、ただ絶望に向かうだけです。

 

 
しかし、神の御心に適った悲しみは、
私達を神様の元に立ち帰らせ、悔い改めに導き、
神様からの赦しを得させ救いへと導きます。
 
悲しみでも、一方は死をもたらし、
もう一方は命をもたらし、全く異なる方向へと人々を導きます。
 
その違いをもたらすのが悔い改めです。

 

 

悔い改めとは方向転換する事です。
自分中心の歩みから神様の望まれる方向に歩み始める事を意味します。
 
ですから悔い改めは、感情的というよりもむしろ意思的な事柄です。
 
悲しむ事が目的ではなく、罪を捨てて正しい道に進む事が目的です。
 

 

 

 
私達が罪を断ち切り、神様に立ち返る為に、
時々神様は悲しみをお与えになる事があります。
 
このような悲しみを通し神様が私達を悔い改めに導き、
正しい道に導いておられる事を知るならば、
その悲しみは私達を救いの道に導くものとなります。
 

 

 

キリスト者の喜びは
苦しみ悲しみのない事ではありません。
悲しみは来ます。
 
しかし神様は
その中で私達に立ち上がる力を与えて下さり、
私達はどのような状況の中でも主を喜ぶ事が出来、
又悲しむ人を慰める事が出来るのです。

 

 

悲しみや苦しみの時には、
これらを悔い改めの時とさせていただくことで、
神様へ一歩一歩近づいていきたいと思います。
 
以上、古屋さんのメッセージでした。
 
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マラナ・タ
主イエスと共にあるなら、悲しみも苦しみも、品性を育てる糧となる。