ごきげんよう!さわこです
「神が遣わされた者を信じることが神のわざである」(ヨハネ6:29)
律法の行いは我々自身の行いであり、
それは罪に過ぎない。
しかし、神の恵みによって、
キリストは神の行い(わざ)を与えてくださった。
神の行いは信仰の行いであり、
信仰の行いは神の賜物、
そして神の賜物は義である。
すなわち、キリストは我々を
「律法の呪い」と我々自身の行いの呪いから贖い出して下さり、
アブラハムの祝福ー神の義と行いーが
「キリスト・イエスにあって異邦人に及ぶようにして下さった」
これらはすべて、
「約束された御霊を、私たちが信仰によって受けるためである」
「キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、
罪と死との法則からあなたを解放したからである」
「律法が肉により無力になっているために
なし得なかった事を、神は成し遂げて下さった」
我々の罪にとって代わるために与えられた神の義と、
我々自身の律法の行いの代わりとして与えられた
彼ご自身の信仰の行いという言葉に表せない賜物に、
感謝しなくてはいけない。
「無敵の信仰」214、215ページより