ごきげんよう!さわこです
キリストを信じる者の生涯においては、
神の恵みによって全てが
その人の益となるようにされ、
キリスト・イエスにある完全さに至るための助力となる。
逆に益にならないものは、
その生涯に決して入り込むことができない。
信じる者が神に自分の人生の所有権を明け渡し、
恵みが支配するなら、この恵みは常にその働きをしてくれる。
それが恵みの唯一の役目である。
これらの事はコリント第二6章1〜10節に書かれています。
(無敵の信仰191.192ページより)
「すべてのことはあなたがたの益であって」第2コリント4:15
「神を愛する者たちの益のためにすべての事が共に働く」ローマ8:12
これこそが救いです。
これによって信じる者は、「常に」
「キリストにあって勝利」することができる。(コリント第二の2:14)
しかし、これは全体像半分に過ぎない。
我々は、主の恵みと賜物が
自分たちだけのものだと考えてはいけない。
最初に我々に与えられたのは、
我々が救われるためだけなく、
神の知識を他のすべての人々に伝え、
役立つ事ができるようになるためでもある。
だからこそ、他者を導く前に、
まず我々自身が救いを受けていなくてはならない。
(無敵の信仰192ページより)
11月に咲くひまわり、皇帝ひまわり
私はクリスチャンになる前から、
物心ついたときはすでに
父なる神・創造主なる神の存在を信じていました。
しかし、創造の神が、
同時に贖いの神であることは知りませんでした。
贖いの神である十字架のイエス、復活と、昇天と、再臨の神であることを知りませんでした。
日本の古来からの宗教の中では、明瞭に示されていなかったからです。
キリストを知らないままでは、神の輪郭はぼんやりとしたままです。
マラナ・タ
実にキリストには代えられません!
この世のなにもかも!この世のなにものも!