ごきげんよう!さわこです
自己満足的なユダヤ人が
「神のわざを行うために、私たちは何をしたら良いでしょうか」
と聞いた時、イエスは
「神の遣わされた者を信じることが、神のわざである」
(ヨハネ6:28,29)と答えた。
信仰によって、心の内にキリストが内住され、
神のわざを信じる者にもたらされるのである。(エフェソ3:17)
信仰自体が働くのである。(ガラテア5:6・第一テサロニケ2:9)
信仰によってキリストが人の心の内に住まわれると、
神のわざ(行い)がその人の生活に現れる。
なぜなら
「あなたがたの内に働きかけて、その願いを起こさせかつ実現に至らせるのは神」だからだ。
(フィリピ2:13)
これがどうやってなされるのかは、我々には理解できない。
しかしどうやって実現するのかを知ること必要ない。
知らなくても良いのから。
そうなるという事実だけで十分である。
だから、クリスチャンが生きる生涯は、
クリスチャン自身にとっても常に神秘に満ちている。
その生命は、キリストと共に神の内に隠されている。(コロサイ3:3)
栄光の望みである人の内に住まわれるキリストは、福音の奥義である。(コロサイ1:27)
我々はキリストにあって、神があらかじめ、
用意してくださった良い行いのために創られた。
我々はそれを信仰によって受け入れるだけでよい。
その良いことを受け入れることこそ、
キリストを受け入れることだ。
(無敵の信仰172.173ページより)
マラナ・タ
だから、クリスチャンが生きる生涯は、
クリスチャン自身にとっても常に神秘に満ちている。