ごきげんよう!さわこです

 

 

御言葉は、
生ける救い主であるキリストを
聖句から見い出し、
キリストの生きた信仰を
得るための手段であるが、
この御言葉でさえ
死んだ形式主義となるることがある。

 

 

キリストは言われた。
「あなた方は、聖書の中に永遠の命がると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとに来ようともしない」(ヨハネ5:39,40)

 

 

キリスト無しで、
聖句から永遠の命を見出すことが出来るはずはない。
 
「御子を持つ者はいのちを持ち
神の御子を持たない者はいのちを持っていない」
(第一ヨハネ5:11,12)
 
無敵の信仰163.164ページより
 

 

マラナ・タ
御言葉でさえ死んだ形式主義となることがある。
神の命の霊が吹き込まれていない言葉は、御言葉とは言えない。
御言葉を聞いても、聞く人の耳が霊的に開かれていないならば、耳にシャッターが降りている状態と同じだ。
御言葉に問題かあるのではなく、聞く側に、受ける側に問題があるのだ。