ごきげんよう!さわこです

 

 

クリスチャンの生活においては、万事が神の御言葉に左右される。
 
神は我々を罪を犯すことから守りたいと切望されている。
それが可能なのは確かなのだが、それは神の御言葉によって成就されなければならない。
 
「あなたの唇の言葉によって、私は
滅ぼす者の道から自らを守りました」
(詩篇17:4)欽定訳
 
「わたしはあなたに向かって罪を犯すことのないように、心の内に御言葉を蓄えました」
(詩篇119:11)
 
神の御言葉は救いの道、清めの道、クリスチャンとして生きる道です。
何故ならこれが、神様が常に何かなさる時に用いる方法であり,ご自分を現される方法だからです。
 
神は最初に御言葉によって万物を創造された。
人間を新たにするのも、神の御言葉によるのである。
 
世界は御言葉によって造られたというだけでなく、それを維持するのも御言葉である。
 
「・・・古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水が元になり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水で覆われて滅んでしまった。しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれている」
 
つまり、神は御言葉によってクリスチャンを造られるだけでなく、同じ御言葉によって維持し、養い、育てられるのである。
 
神は万物をご自分の強力な御言葉によって支えられる。クリスチャンもその万物の中に当然入る。
神は被造物すべてを包んでいるのだから。
 
天空の星々や、宇宙のあらゆる惑星がそうであるように、クリスチャンも同じだ。主の御言葉によって支えられ、正しい軌道に保たれている。
 
私たちも、太陽や地球と同じように、自分を自分で支えて正しい軌道を維持することなど出来はしないのである。
 
聖書の神は言われる。
「我が右手をもってあなたを支える」と。
(イザヤ41:10)欽定訳
「神はあなた方をつまずきから守ることもおできになる」と。(ユダ1:24)欽定訳
新共同訳では、
「あなた方を罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く前に立たせることができる方」と。

 

 

苦労や失敗ばかりのアドベンチストクリスチャンである私に御言葉であられるキリスト・イエスは、そう語ってくださる。
 
・神の言葉は生きていて力がある
・恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる
・あなたはわたしのものだ
・わたしは決してあなたを離れずあなたを捨てない
 
(無敵の信仰 95.96ページよりデボーション)

 

 

マラナ・タ
日本の文化宗教性の中で育った私。
仏教も神道も、宗教というよりも自然体のアイデンティティと言って良いかもしれない。
イザヤ・ベンダサンの言葉で言うならば日本教。
それゆえに、聖書の神を知った時、
日本教の本質はここにある。
さらに明確なキリストと言う実体を持って記されている。
 
そのお方が私を招き、困惑の海で溺れている私を掬い上げてくださった。
救出してくださった。
このことをキリスト教では、「救い」と言うのだ。
日本人だからこそ、聖書の神が分かる。
キリスト様が分かる。