ごきげんよう!さわこです。
安息日学校聖書研究ガイド2023年度3期は「エフェソの信徒への手紙」
7月27日木曜日は「聖なる神殿である教会」というタイトルです。
エフェソ2章でパウロは教会を神殿として比喩的に用いています。
私の思いは、そこから、日本の神社に向きました。
日本には古代から至る所に大小様々な神社がありました。
神社の造りが古代イスラエルの神殿と酷似していること。
鳥居は
出エジプト過越の時に、各家の柱と鴨居に
子羊の血を塗ったことに拠っているとか。
イエスさまがお架かりになった十字架につけられた罪状書きの文字が、INR Iです。
四福音書全部に記録されています。
「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには『ナザレのイエス、キリスト人の王』と書いてあった」
(ヨハネによる福音書19:19・ルカ23:38・マルコ15:26・マタイ27:37)
稲荷神社の鳥居は赤い。
稲荷はINR I。
そんな研究もあることを知ってから、子ども時代から身近であった神社に違和感がなくなったキリスト者の私。
神社の聖なる佇まいにキリストの影を感じているからかもしれません。
日本人ほど、聖書の神が、キリスト様が分かる民はいないといつも思うんだけど。
聖所の研究に魅せられる私。
朝、こういうことに思いを向けていて
昼、この動画を見つけて
何だか、接点を感じました。
自然の太陽から、太陽崇拝が出てくるのでしょうか。
しかし、太陽は自然に始めからあるのではない。
太陽を創造なさったお方がいる。
創造主の4日目に太陽は創造された。
(旧約聖書。創世記1章14-18節参照)
太陽も被造物
聖書ではキリストを「義の太陽」と書いている。
私は、キリストを自分の中心に置きながら視聴する。
楽しい。
縄文は保守の源流。